キボウノチカラ~オトナプリキュア’23~ 第2話感想 変身する前の私へ。

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約束した。もっと立派な先生になるって。るみちゃんと、また会おうって・・・! 眠ってなんかいられない!

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「ケツイノスガタ」

大きな出来事

メインキャラクター:のぞみ

目標

 子どもたちの前で胸を張れる先生でありつづける。

課題

 のぞみはるみちゃんを救うことができなかった。少なくとも彼女自身はそう思っている。子どものころ夢見ていた理想はこんな無力な自分じゃなかったはずだ。
 他の仲間たちもそう。それぞれ立派に夢を叶えたようで、その実どこか鬱屈した思いを抱えながら日々に折りあいをつけている。

 そんなとき、街にシャドウという謎の怪物が現れた。街行く人々の影を狙っている。襲われた人は昏倒し、さらに影から新たなシャドウを生みだしてしまうようだ。
 のぞみはその現場に教え子たちの姿を見つけた。彼女たちを逃がすため、のぞみは囮役を買って出る。しかし、元来トロいほうだったのぞみはシャドウの追撃をかわしきれず、自分も被害者になってしまった。
 これが結末でいいのだろうか?

解決

 のぞみの心にはるみちゃんを救えなかった後悔が深く突き刺さっていた。
 のぞみはるみちゃんと約束していた。「未来でまた会おう」と。自分は情けない先生だが、せめてその約束だけは果たしたかった。ここで終わるわけにはいかなかった。

 今、自分の身にはありえない奇跡の力を渇望するのぞみの心に、再び蝶が応える。
 のぞみは子どものころと寸分違わぬ姿・キュアドリームへの変身を再び果たすのだった。

ピックアップ

「ふぅー。飲んだー! 食べたー!」

 どうしよう! プリキュア5にしては食べた量が少ない!(成長期の食欲と一緒にしてはいけない)

「飲めないわけじゃないんだけど、今日はちょっと」

 救急部門がある(=つまりほとんどの)総合病院の場合、勤務医には救急対応の当直の“他に”オンタイムと呼ばれる制度がある。
 オンタイム中の医師は業務時間外であっても30分以内に病院に駆けつけられる範囲から出ることを禁じられ、またアルコール摂取など通常の医療行為を行えなくなる行為が許されない。ざっくりいうと、救急搬送や入院患者の急変が想定より多くて当直医だけでは手が回らなくなった場合、業務時間外であっても病院に呼び出されるためだ。
 ちなみにオンタイム中の呼び出しは決して少なくなく、病院によっては月10回以上にのぼることすらままあるという。医師の労働環境がブラックだといわれる原因のひとつだ。

 さすがに特別手当くらいは支給されるが、そもそも医師というのは基本給が一般的なサラリーマンよりは多く、そこまでお金に困っていない。しかも慢性的に人手不足で多忙を極めている。完全な休みが少ないのにいつどこでその手当を使えというのか。

「私は派遣で秘書をやってるわ」

 いかにも有能なキャリアウーマンっぽい雰囲気を醸し出しているが、派遣の秘書の給与相場は時給1400円ちょっとしかない。地方に至っては最低賃金+100円程度の募集もよく見かける。秘書なんて案外そんなもの。そりゃまあ、社内でいいように雑用を押しつけられる弱い立場にもなるわけだ。契約書にはそんな業務書いてないはずだけどね。
 ちなみにくるみはパルミエ王国時代もキュアローズガーデンのツアコン業務をやらされていた。・・・あの国には人材育成という概念が無いのだろうか?(日本も同じだが)

「最近書いてるの?」

 専業小説家の原稿料相場は1文字あたり5~20円。ただし、webで仕事を探すと1文字単価0.1円以下の案件がゴロゴロある。この業界、副業や趣味で参入する人がきわめて多いためだ。
 昨今の文筆業は専業と副業・趣味の境界がきわめて曖昧になっている。昔と違い、単に賞を取っただけの自称小説家では競争相手が数千数万人といる。出版社も今どきはちゃんとした担当編集者をつけて出版できるまで綿密なコミュニケーションを取る、などといった作家を育てる対応はなかなかしてくれないらしい。

「うらら。あなた何が言いたいの?」

 芸歴10年を超えていてこの無感情な大根芝居じゃそりゃ文句のひとつも言いたくなる。(これは劇中劇だから常識的な水準よりオーバーな表現にしてあるだろうが)

 通常、ポスターができてから演出家の独断で役を降ろすなんてことはそうそう起こらないはずだが、実際のところ全く無いわけでもない。私も一度見たことがある。なにせこの業界、ポスターを発注した時点では脚本が完成していることすら稀なのだから。
 今さらどうしようもないから滅多なことでは下ろさないというだけであって、ポスター完成時点で俳優がその域に達しているかどうか見極める機会は、実はあんまり無い。

SNS投稿者

 ダークナイトライトちゃんねるの他にもシャドウの出現を感知し避難を呼びかけているアカウントが複数ある。妖精だろうか? おそらくそれぞれ元ネタがあるものと思われるが、不勉強な私にはイマイチ思い当たるものが無い。

 「モモノハナ@nitp90_OPMts」(いくらの軍艦巻き)
 「ダークナイトライト@Darknightlight!.^^.Q」(ネコミミ満と薫)
 「まりか@Waapmick」(マグロ寿司)
 「森のヴァイオリン@MlconoD84Pmm」(針葉樹の葉っぱ)
 「Ryo-Kimi@kirakirastar08PoQ」(ミツバチの羽)
 「KanaKana@onthesky」(おむすび)

時計

 何の象徴なのか、エンディングでそれぞれの手元に時計が与えられている。
 かれんには壁掛時計。くるみには砂時計。りんには日時計。うららには懐中時計。こまちには腕時計。

 古来、人類は未来を知るために時計を発明してきた。「何時間後に夜が来るからそれまでに仕事を終わらせなければならない」「昼の時間帯が一番活動しやすくなるからここに大事な予定を入れよう」「1日のうち日が出ている時間は12時間前後あるから、これだけの作業時間を要する仕事を終わらせるには何日かかる」――といった具合に。
 未来を予測し、現在やるべきことを計画するために時計は存在する。逆をいえば、本来時計というものは過去とだけは関係を持たない。

 怪物が出てきた以上、どこかでプリキュアも出てくるとは思っていましたが、まさかこんなかたちで変身を果たすとは。
 明らかにろくでもない変身ですね。いくら『オトナプリキュア』だとはいえ、こんなダークヒーローみたいな演出のプリキュアがいるか。
 そもそも、今作の敵は環境問題か何かのために時間を戻そうとしている人物なわけですよ。それに対してプリキュアが子ども時代の姿に戻るなどと、敵と同じ方向性を取ること自体がおかしいです。

 前回の感想文でも書きましたが、のぞみはるみちゃんの転校に際してプリキュアらしい対応をやり遂げました。子どものころのののぞみならきっとこれだけやれたら満足していたことでしょう。実際、同じ子どもであるるみちゃんも、のぞみのしてくれたことに充分満足してくれています。納得できていないのはのぞみただひとりだけ。
 大人になってのぞみは少し欲ばりになりました。それはきっと大人として好ましいかたちの強欲です。自分はまだまだ完成じゃない、もっともっと成長していきたいという、向上心の表れです。

 だからこそ、その解決手段として夢見る子どもの奇跡に縋ってはいけない。
 奇跡じゃどうにもならないこともある。プリキュアはるみちゃんの学費を払えないし、お父さんの新しい取引先を見つけてあげることもできない。プリキュアになれたところで今のぞみが抱えている鬱屈した感情は何も解消できない。シャドウとかいう怪物をとっちめたところで、いったいのぞみに何の得があるというのか。

 考えることです。今の自分の夢は何か。そしてそれを叶えるために何をすればいいのか。きっと簡単に答えが出る話ではありません。この世知辛い世の中で夢を叶えようとするのは何とも難しい。だけど、少なくともそれは、子どものころの自分になら解決できるような、大人と子どもの力関係が逆転するような問題ではなかったはずです。

成長と自信と、限界と失望と

 「あっちの道にまだ鬼はいない。ふたりで走って!」
 「先生は?」
 「・・・大丈夫。先生もあとから追いかけるから」

 のぞみはもともと勉強も運動も両方苦手な子でした。何をやるにも身につくまで人の2倍は時間がかかっていたそうです。だから、いろいろ試したうえで彼女は結論していました。
 自分には才能が無いんだ。みんなとは違うんだ。将来やりたいことが見つからないのはそのせいなんだ。
 それでも諦めていたわけではなかったのですが、八方塞がりの閉塞感はずっと感じていました。

 それが、今では立派に学校の先生をやれています。
 りんと違って身のこなしに自信があるわけでもないのに、子どもたちの安全のためなら率先して囮役を買って出ます。

 「私、プリキュアやっててよかった。プリキュアをやるのはココのためだけじゃないよ。私のためでもあるの。――ココの夢を叶えたら自信が持てる気がする。そしたらきっと、いい未来が開けると思うんだ」(『Yes!プリキュア5』第11話)

 転機はプリキュアでした。

 滅ぼされた王国を復活させるというココの大きな夢を助けるため、のぞみは当時自分自身の夢を持っていないにも関わらず、みんなの夢を守るプリキュアになりました。彼女が学校の先生になりたいと夢見るようになったのは、実はパルミエ王国が復興したあとのこと。
 朧気に想像していたとおり、実際にココの夢を叶えたという成功体験が彼女に自信を与え、自信が彼女の夢見る心を奮い立たせたのでした。

 今、のぞみは勉強ができています。運動もできています。
 得意かというと相変わらずそんなでもないのですが、少なくとも苦手意識はもうありません。
 できるかどうかではなく、自分は何をしたいか、何をするべきかで動いています。

 「先生なのにるみちゃんの力になれなかったね。助けられなかった。がんばったけどムダだった。誰も力を貸してくれなかったし、助けてくれなかった。私は無力だ。どうせ何もできないんだから何もしないほうがいいよ。・・・ひとりで眠ってたほうがいい」

 そんなあなたが、これまでがんばってきたことをムダだと言いますか。
 いくつもの成功を積み重ね、ついに自信を身につけたはずのあなたが、ただ一度の挫折で自分は無力だとまで言いますか。

 今話、のぞみはプリキュアになりました。
 子どもの姿のプリキュアです。
 あのころと同じ、夢を持つことができず、自信も持てず、それでも誰かのためになりたいという一心で夢の守り手を務めていた中学生時代と同じ姿。

 「じゃ、また未来で会おう」
 「約束!」(第1話)

 るみちゃんと約束したから。今ここで終わらせてしまうわけにはいかないから。
 だからプリキュアに変身しました。それはいいでしょう。

 「会えるよ。私、会いに行くから! それまでもっともっとがんばって、いい先生になる!」
 「もういい先生だと思うけど?」
 「もっとだよ! もっと、もーっと! 頼れる先生になりたいの!」(第1話)

 けれどのぞみの思考にはるみちゃんが贈ってくれた言葉がひとつすっぽ抜けています。
 向上心があるのはいいことですが、自分が夢を持てるようになったそもそもの基盤、がんばるために一番大切な要素から目を背けています。
 そんなだから子どものプリキュアになっちゃうんですよ。

 「先生なのにるみちゃんの力になれなかったね。助けられなかった。がんばったけどムダだった。誰も力を貸してくれなかったし、助けてくれなかった。私は無力だ。どうせ何もできないんだから何もしないほうがいいよ。・・・ひとりで眠ってたほうがいい」

 「テスト勉強、今からでも間にあうかな?」
 「もちろん」
 「・・・すっごく時間がかかるだろうけど」
 「回り道をしても、時間がかかったとしてもいいんだよ。それにのぞみには力になってくれる友達がたくさんいるじゃないか」
 「そうだね――」(『Yes!プリキュア5』第11話)

 のぞみはるみちゃんの力になれていました。救いを与えられました。
 がんばったことはムダじゃありませんでした。
 友達のりんはいつも近くにいて話を聞いてくれました。
 昔と違って、今ののぞみには力があります。
 昔と違って、できることがあります。たくさんあります。
 るみちゃんや、りんたち元プリキュア、それから教え子の小宮さんに金井さん。たくさんの人がのぞみを信じていて、のぞみを頼りにしてくれています。
 ひとりじゃありません。

 たとえムダな努力だったように感じられたとしても、それはただ少し回り道をしていただけ、ただ少し要領が悪かっただけ。他の人よりいくらか歩みが遅かったとしても、それでも着実に前へ進むことができる。のぞみという子は昔からそういう子でしたし、そして今もそう。
 子どもだったころの自分に今さら恋い焦がれる必要はなかったはずです。

 無力な今の自分のままでは何も解決できない。
 そういう自己不信がのぞみを再びプリキュアに変えました。
 本当に力が無いのかどうかは、一旦別の話として。

 「えへへ。変身しちゃった」

 その懐かしさ自体は、のぞみにとっても、私たちにとっても、くすぐったいものではあるのですが。

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    コメント

    1. 東堂伊豆守 より:

      なんかシレッと出てきやがったキュアドリーム。
      彼女は、新たな敵・ベルの出現を受けて再召集された予備役プリキュアなのか?……いや、もしベルが本当に「新たな」敵であるならば、何もロートル(失礼)プリキュアを再召集しなくたって、ピチピチヤングもぎたてフレッシュな現役JCを「新たな」プリキュアに任命すればよい筈で。
      そも、このベルなるヴィランは過ぎ去った良き時代への強烈な執着を抱えているらしい。一方現在の夢原のぞみもプリキュアやってたJC時代への執着を引き摺っている状況で――――もしかすると、今回出現したキュアドリームとは、ベルの過去への執着とのぞみの過去への執着が共鳴することで生み出された、成仏しきれていない“亡霊”のようなものなのかもしれません(だからこそ現在の夢原のぞみではなく、JC時代ののぞみの姿がベースになっている)。
      そして今回の怪物・シャドウとは、我々の前(未来)に立ちはだかる障害物ではなく、光(未来)の反対側に伸びる影――――引き摺っている過去への執着――――なのかもしれない。
      つまり今回のキュアドリームの任務は、前方に立ちはだかる敵を殴り飛ばすことではなく――――後方に引き摺る“影”を断ち切ること、いや、より厳密に言うなら「キュアドリームという“抜け殻”に取り憑いた“影”を、抜け殻ごと捨て去る」こと、なのかも。
      ……さあ、はたして、この推測の賞味期限は次回放送までで尽きてしまうのか?それとも最終回まで持ちこたえるのか?目が離せなくなって参りましたぞコレは。

      • 東堂伊豆守 より:

        追記:
        今作のヴィラン・ベルの名前の由来なんですが、もしかすると「鐘(bell)」と「良き時代(belle epoque)」のダブルミーニングなのかもしれません。よーするに懐古主義者、だと。

      • 疲ぃ より:

         「belle」が”素晴らしい”で、「epoque」が”時代”ですね。Belle Epoqueが懐古主義的な文脈で語られるように、「よいもの」を追い求める美意識は往々にして過去に目を向けがちなものです。
         新しいものって評価が定まっていませんからね。自分がいいな、と思うものであっても周りの人も自分と同じ評価をしてくれるとは限りません。聞いてみて Yes / No ではっきりしてくれるならよっぽど上等。大抵の人はどっちつかずで自分の意見を明確にすることを避けたがりますから。新しいものを見て「これいいよね」って言うの、結構勇気が要ります。
         その点、古いものって楽です。周りの人が「よいものだ」って言ってるものに自分も便乗すればいいだけですから。多少自分の美意識に自信がなかった場合ですらも、周りの評価がその不確かさを補強してくれます。
         「世界は今きらめくよ。私がそう決めたから」(OPテーマ『ときめき』)ってくらい図太くまっすぐ我が道を進めるならまた別ですけどね。新しいものを愛せる人って、有期がある人なんだと思います。

         なーんで私こんなにキュアドリームの登場をネガティブに捉えちゃうのかっていったら、つまりそういうところ考えちゃうからなんですよねー。
         懐古主義者で精神的に強い人なんて見たことない。
         大人になったのぞみ、絶対中学生当時の彼女よりもステキになってますって! 自信持て!

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