謎解き戦士!ガリベンガーV 第3回感想 1992年は~とかいわれても基本東京だけのカルチャーよね。

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1992年はカジュアルな時計が“スウォッチ”オシャレになった時代。

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ガリベンガー

電脳少女シロ

「初めて見た。でもオシャレだなあ。すらっとしてる」

所属プロダクション:どっとライブ

番組出演回数:レギュラー

因幡はねる

「VTuberの前身がそこですね」

所属:有閑喫茶あにまーれ

番組出演回数:5回目(再放送・前後編等除く)

黄花はてな

「『やってる』っていうんだ。(腕時計集めを)やってるって言うの初めて聞いた」

所属プロダクション:テレビ朝日

番組出演回数::3回目(再放送・前後編等除く)

山瀬まみ

「それ以外を知らなければ不便なんて感じたことがなかった」

バラエティタレント

番組出演回数:1回目(再放送・前後編等除く)

カズレーザー

「なんか恩売る感じなんですよね。『折っといてやったよ』ぐらいな。ふざけんなよ!」

お笑いコンビ メイプル超合金 のボケ担当

番組出演回数::2回目(再放送・前後編等除く)

特別講師&教官

泉麻人

コラムニスト

著書:『泉 麻人自選 黄金の1980年代コラム』(2021年,三賢社)

番組出演回数:1回目(再放送・前後編等除く)

小峠英二

お笑いコンビ バイきんぐ のツッコミ担当

番組出演回数:レギュラー

懐かし1992年(平成4年)を振り返る!

 なんかひたすらとりとめなく進行していましたが、要するに30年前のカルチャーを語る、といった具合の趣旨でしょうか。
 こうして振りかえってみて改めて思うことは、当時ってインターネットも普及していなかったので今よりもずっと東京と地方とでカルチャーが共有されていなかったなあ、ということですね。私は青森県のド田舎出身で、そのまま東京とはほぼ無縁の人生を歩んできたので、今回紹介されたお話の半分もわかりませんでした。完全にテレビの向こうにだけあった世界の話でしたね。なろう小説の「ステータスオープン!」並みに異世界を感じるやつ。

 当時地方にまでしっかり流れてきた東京文化って、雑誌やマンガ、CD、レンタルビデオ、あとゲームくらいだったんですよ。最新ファッションなんて東京まで買いに行かないと手に入りませんでした。この時代、地方にオタクが増えたのって、そんな感じで地元でも買えたものがサブカルチャー主体だったからなのかもしれません。
 それなのにアニメや深夜番組はテレビに映らないので嘆くオタクが大勢生まれたっていう。フィギュアとかグッズとか同人誌とかも高嶺の花だったなあ。

第1章 1992年の出来事

 バルセロナオリンピック競泳女子200m平泳ぎ種目で当時14歳の岩崎恭子が金メダル獲得。
 NASAのスペースシャトルに日本人としては初めて毛利衛が搭乗。
 双子の高齢タレントきんさん・ぎんさんが100歳を迎え、この年の流行語大賞に。
 ・・・といった出来事が紹介されました。

 このあたりの話は最初からテレビのなかの出来事なのでまだ田舎者にもついていけますね。

 「毛利さんは社会の教科書に載ってました」

 因幡はねるが言うように、載っていましたね。実際の授業では昔も今も現代史なんてろくに扱われないので本当に載っているだけでしたが。あと世代によっては道徳の教科書にも載っていたはずです。

 「あんまり顔似てないんだよね。で、ぎんさんが毒舌なんだよね」

 山瀬まみのコメント。私はきんさん・ぎんさんで二卵性双生児の概念を知りました。マンガの影響で双子ってみんなそっくりなものだと思い込んでいたので衝撃でしたね。

第2章 どんなファッションが流行した?

 「フレンチカジュアルって流行った。agnes b.(アニエスベー)とか。ボーダーのカットソー着て、スナップボタンが付いた黒のカーディガンとか着て、ベレー帽かぶってみたり」

 このあたりは私ホント一切わからない話ですね。お手上げです。

 「チーマー?」
 「チーマーってもう今死語になってるのかな?」

 大丈夫。おそらく今回ゲストのバーチャルYouTuber全員より年上ですけど、私もわかりません。チーマーって言葉自体は何かのマンガで見たはずですが、正直ヤンキーとかチンピラとかとの区別がついていません。

 先生によると、渋カジ(※ アメリカンカジュアルの流れを汲むファッション文化。フライトジャケット、Tシャツ、ジーンズ、エンジニアブーツなど)に身を包んだ不良集団のことのようです。
 当時は国産ブランド人気にようやく火が着きはじめていた時代。そんな時代にあえて全身海外ブランドでコーディネートしていたわけですから、不良とはいえそれなりに富裕層の若者が多かったようです。

第3章 輸入レコード店で音楽を見つけた時代

 「ネットで買うという時代じゃないですからね。見つける楽しみ」

 レコード店ならではのカルチャーを理解するには、インターネットサービスよりもう少し違う話から解説するべきでしょうね。いや、私もレコード世代じゃないんですけど。

 当時のレコード店では、資料映像みたいな感じでラックにドバッと雑多にレコードを突っ込んでおく陳列が主流でした。
 現代のように棚置きかつ1枚1枚のジャケット面が見えるような陳列(=面陳)が始まったのはCDが主流になってからのことです。ソニーミュージックエンターテイメント社が普及させました。
 そんなわけで、当時のレコード店ではお客さんが自分で1枚1枚レコードを取り出してみないとジャケットすら見ることができなかったわけです。それでもテレビやラジオでよく流れる邦楽ならタイトル買いできたものですが、輸入レコードとなるといよいよ話は別。曲名を見てもアーティスト名を見てもどういう曲なのかさっぱりな情報不足のなか、当時の音楽ファンたちはジャケ絵から感じ取るインスピレーションで自分好みの楽曲を探し当てていたそうです。まるで宝探し。
 そういう意味で「見つける楽しみ」なんて言葉がここに出てくるわけですね。楽しそう。

 今だとサブスクでランダムに流しつつ適宜お気に入り登録していくのが近い感覚でしょうか。

第4章 折る派? 折らない派? 音楽を持ち運ぶ時代

 「なんかね、あるんですよね。シングルCDで長いやつが」

 音楽CDは最初8cm規格のシングルCDから流通が始まりました。1枚500円~という安価なメディアでしたね。
 CD自体が直径8cmなので本当ならジャケットも8cm角が適当なはずなんですが、上記のとおりCDの流通と時を同じくしてジャケット面が見えやすい棚置きでの販売手法が広められつつありました。となると、ジャケットが小さすぎるというのは商品アピールの点で不都合だったわけですよ。それで縦長のジャケットというものがつくられていたわけです。
 ジャケットが縦長だったのは販売戦略上の都合でしかなかったので、消費者の手元に渡ってさえしまえば縦長である必要性は一切なかったわけです。ムダに邪魔なだけでした。それでCDケースには手で折ることができる仕組みが用意されていたわけですね。

 ただし、実際に折っていた人はほとんどいなかったように記憶しています。
 おそらくその理由は語るまでもないことでしょう。ただでさえ当時のジャケットは厚紙。折り込むとせっかくのジャケ絵に白い線ができちゃってたんですよね。神経質な人だと包装ビニールすら残してスリーブ代わりにしていたくらいでした。

第5章 アキバが電気街だった時代

 「えっ!? これ秋葉原?」
 「全然違う!」

 当時の地方在住オタクにとって秋葉原はエルサレムでした。憧れの地でした。修学旅行で東京に行くとなったら同じ班のメンバーを説き伏せてでも自由行動のルートに秋葉原を組み込みたがったものです。ちなみに私は自由行動開始直後に迷子になって引率の先生と留守番していました。
 まあ実際には中高生が電気街に行ったところで買えるものなんてあんまりなかったんですが。電子工作できるほどの極まったガジェットオタクならともかく。

 「え、じゃあメイドさんの街じゃないんだ」

 秋葉原にメイドカフェが溢れるようになったのは2000年代のことですね。90年代後半からアニメやマンガ、エロゲなんかで秋葉原電気街や同人誌即売会などオタクカルチャーを題材にした作品が描かれるようになり、その影響で秋葉原に集まるオタクがガジェットオタクからアニメオタクに切り替わっていったんです。

第6章 オタクがキャラクター化した時代

 「今だと秋葉原にはいわゆるオタクみたいな感じのファッションの人がいるっていわれてますけど、当時はあんまりオタクって感じの文化はなかったんですか?」

 わかっちゃいましたけど因幡はねる、この方面詳しいですよね。本当は私なんかよりよっぽど詳しいはず。

 当時はオタク趣味というものは基本的に隠すものだったので、メイドカフェなどオープンなオタク産業なんてものは存在していませんでした。
 絵に描いたようなオタクっぷりを自らのタレント性として売り出した宅八郎がブレイクしたのもこの時代。髪が薄くて眼鏡が厚くて、どこか清潔感に欠け、なんかひとりでコスプレしたりフィギュアを愛でたりしてる変質者というのが、この時代におけるオタクのイメージでした。
 パリピもスポーツ少年もアニメマンガゲームの話くらいできて当たり前な今の若者世代とはずいぶん違っていました。

 1988年に発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件などで容疑者がアニメオタクであるということがネガティブ情報として盛んに喧伝されていたくらいですからね。それだけ当時の時流ではアニメやマンガ、電子工作などに熱中するオタクという存在が奇異の目で見られていたということです。

 「だからそういう、薄暗いほうのなかにいた人が段々キャラ化していって、で、90年代後半くらいから市民権を得ていくみたいな。オタクの夜明け的な」

 「アニメとかテレビゲームのなかのアニメのアイドルキャラクターみたいなのがあって、そのへんを追って秋葉原にそういうソフトを買いに行く流れからアイドルにつながってくんですね。秋葉原って」

第7章 数字で想いを伝える時代

 ポケベル、私も見たことなかったです。地方でも持っている人は持っていたらしいですが、私の周りには持っている人がいませんでした。もちろんショルダーフォンや車載電話なんてものも。私が初めて携帯電話的なものの実物に触れたのは、それこそ3Gが普及してからです。そもそもその時期までドコモが圏外の地域でしたからね。

 「だんだん90年代くらいから若い人向けのが出てきて、女子高生の間で流行りはじめるのがこの年。あんまり打ち込めないから語呂合わせで言葉をつくってた。ポケベル用語なんて」

 ポケベルというのは受信専用の端末で、発信者側は自宅の電話や公衆電話などからかける必要がありました。数字を電送する機能は本来折り返し電話させる番号を連絡するための機能でした。当時の女子高生たちはこれをショートメッセージ代わりに活用したんですね。

第8章 待ち合わせがドキドキした時代

 私が生まれ育ったド田舎でも駅に掲示板はあったらしいです。電車自体が不便なので通学に使う高校生くらいしか駅に寄りつきませんでしたが。待ち合わせは事前に時間と場所を打ち合わせしておいて、そこで合流する以外の術がありませんでした。会えなかったらすっぱり諦めるだけ。
 修学旅行先で迷子になろうものならその瞬間詰みですよ、もちろん。

 「会えないときってざらにあったじゃないですか。どう終わってたんでしょうね、そのときは」
 「なんか一応探すけど、自分がここの場を離れた瞬間にここに来たらどうしようっていう、その気持ちのせめぎあいで」

 世間ではこのすれ違いを題材として多くの創作作品が生まれたものです。
 なお、当時のフォーマットが便利すぎて、携帯電話が普及して以降物語を書くことに苦労することになった作家が大勢いたそうです。今年『ときめきメモリアル』の新作が出ていましたが、未だに待ち合わせにスマホを使わせてくれなかったくらいですからね。『デリシャスパーティプリキュア』もさすがにインターネットができる端末くらい持つようになりましたが、その端末では何故か仲間同士でのメールや通話をやらないっていう。

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