私がワクワクになって、壮太もワクワクになって、みんなワクワクになったの!
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(主観的)あらすじ
今日から二学期、そしてはーちゃんの初登校日です。学校はワクワクがいっぱいで、はーちゃんは一日を楽しく過ごしますが、一方でクラスメイトの壮太はずっと浮かない顔。サッカー部の部長でもある彼は、試合を目前に控えたチームをまとめられずに悩んでいたのでした。
せっかく学校にいるのにワクワクしていない壮太の様子に不満なはーちゃんは、彼の部活動に押しかけます。楽しそうにサッカーをするはーちゃん。それを見て、壮太はサッカーの試合がワクワクするものだということを思い出します。みんなでワクワクする試合にするために、壮太たちサッカー部はチーム練習を始めます。
プリキュアは彼らのワクワクする日々を守ります。襲いかかるシャーキンスを退け、サッカー部の試合は無事にワクワクもんとなりました。
ワクワク回。この記事はこれからあと何回「ワクワク」と書くことになるでしょうか。ちなみに先週出した予想が合っているか私もワクワクして観ていました。結果は大ハズレでしたが。努力も悩みも、ワクワクしたいから耐えられます。ときに試合に勝てなかったり予想をハズしたりもしますが、それでも頑張ったあなたはきっとワクワクできたはず。努力も悩みも、絶対に無駄にはなりません。
シャーキンスは天狗、ベニーギョはデーモンでしたか。ラブーはジンでしたが、これらはすべて土着信仰において本来神とされていたものが、三大宗教の影響によって悪魔へと落とされた者たちです。神すら見方を変えれば悪魔にもなります。だからこそ、プリキュアは日常にたくさんのワクワクを見つけ、この世界の見方を幸せなものへと変えていくのです。
日常のワクワク
子どもは遊びの天才、とはよく言いますが、まさに今回のはーちゃんのことですね。「はー! 体育楽しかった! 次は何? 国語? 社会?」 学校が楽しいものと信じて疑わないはーちゃんは、彼女の信じるとおりワクワクもんの学校生活を送ります。ギクシャクしているサッカー部の朝練ですら、彼女からすると「楽しそう!」。まるで見方が違います。
楽しそうといえば勝木さん。「妖精は本当にいるわ! あと魔法つかいも!」「朝日奈さん、十六夜さん、今から妖精を探しに行きましょう!」 すっかりギャグキャラが定着した彼女も実に楽しそうですね。そんなものいないと何度言われてもへこたれず、不思議なものの実在を証明するために奔走する彼女の日々はいかにも充実していそうです。
肝心なのはオカルトが実在するかどうかではありません。オカルトが実在すると信じるものの見方が、世界をワクワクの色で彩ってくれるのです。私は残念ながらそういうものへの関心が薄いのですが、このように何かに熱中している人を見るのは大好きです。目で追いかけるだけでワクワクします。彼女のような人をステキだなと思います。
これまでももう何度も登場しているコスモスの花言葉は、今回は「愛や人生がもたらす喜び」と解釈しましょうか。世界は必ずしも喜びに満ちているものではありません。あなたが喜びを見出すからこそ、この世界に喜びが生まれるのです。
そう思うと「子どもは遊びの天才」というのはなんともステキですね。世の中の「ワクワク」も「どよーん」もまだほとんど知らないフラットな視点を持つ子どもたちが、まず最初に見出すのはどういうわけか遊びという「ワクワク」ばかり。彼らを育てた家族の愛がそうさせるのでしょうか。それとも、やっぱり世界はそもそもが喜びに満ちたものなのでしょうか。
コスモスの花から生まれ、みらいやリコやモフルンの愛情に育まれたはーちゃんは、ワクワクを見つけることに関しては無敵です。
ワクワクするもの、しないもの
とはいえ世の中なにもかもがワクワクとはいかないもの。みらいとリコも通った道です。みらいは数学にワクワクしませんでした。けれど大好きなリコのマネをしてひたむきに努力をしてみると、案外うまくいきました。リコは夢ばかりを追いかけて今を楽しむ視点に欠けていました。けれどみらいに教わって見方を変えてみると、そこにはワクワクするものがたくさんありました。
今回、はーちゃんの目の前にはどよーんとした壮太がいました。はーちゃんがワクワクもんと思う学校で、はーちゃんがワクワクもんと思う授業を受けているにも関わらず、彼はどういうわけかちっともワクワクしていません。はーちゃんにはそれが納得できません。頬を膨らませるはーちゃんかわいい。
そこで彼を嫌いにならず、彼にもワクワクしてもらいたいと思うはーちゃんはステキですね。「チームをまとめられない」 という悩みを聞けば魔法で物理的にひとつにまとめますし、「俺にも来ないかな、幸せの妖精」 とぼやけば彼が大好きなサッカーボールとともにやってきます。なにがなんでもワクワクしてほしいと願うそのひたむきさがステキ。
あげくの果てにどこかのキャプテン翼で見たようなトンデモテクニックを披露して、はーちゃんは言います。「サッカーはいろんなことができるからワクワクだよね」 それこそが壮太にとってのワクワクのツボ。そんなのサッカーじゃねーよ、なんてヤボは言いません。魔法つかいに夢中な勝木さんが妖精を否定しなかったように、サッカーが大好きな壮太にとってはセグウェイごっこもいろんなワクワクのうちのひとつです。一応言っておきますがサッカーをバカにする意図はありません。
そんな壮太だからこそ、続く言葉は論理的に接続します。「明日の試合も楽しみ。だってさっきの壮太くんみたいなワクワクのプレーがいっぱい見られるんでしょう」 彼にとってサッカーはワクワクするものです。いろんなことができるから。だったら、敵味方のいろんなサッカーが見られる試合はワクワクの塊に決まってるじゃないですか。シンプルな理屈が彼のわだかまりを解きほぐします。
9月。多くの中学校において受験を控えた3年生が引退する時期です。部長になったばかりの壮太は気負うあまり、厳しい練習を部員たちに押しつけていました。完璧なチームをつくろうと躍起になっていました。完璧な留学生を演じるあまり、遊びのバドミントンですら練習せずには参加できなかったリコと同じです。そんなもの、楽しくありません。
未来のことを考えるならそういうストイックな努力が必要になる場面はもちろんあるでしょうが、人は未来のためばかりに生きているのではありません。未来と同じくらい今も大切で、魔法つかいプリキュア!はそのどちらをも大切にしています。どうせ同じ努力をするなら、みんなで楽しく頑張りましょう。その方が未来も現在も、両方ともいっぱい欲張れます。
「サッカー部のみんなは今日のために、悩み、苦しみ、努力してきました」「壮太はずっとサッカーが大好きだった。だから今日は特別な日」
それでいて、プリキュアはワクワクしないストイックな努力をも否定しません。できることならみんなで楽しく、と言っているだけです。みらいの数学嫌いも結局のところ勉強の過程はワクワクに転化していません。だって、そういう苦しみすらも大好きなもののために行われるものなのですから。いつかあなた自身がワクワクするためにある努力なのですから。
ワクワクするものも、ワクワクしないものも、すべてはあなたがワクワクするためにあります。未来のワクワクのために今のワクワクを我慢しなければならない道理なんてありません。今のワクワクのために未来のワクワクが損なわれる道理もありません。
あなたはワクワクしていいんです。ワクワクするために、みんなでワクワクしながら努力しましょう。
日常の魔法
そんなわけで、このところずっと魔法つかいプリキュア!は前作GO!プリンセスプリキュアとはまた違う努力の価値を示し続けていますね。
GO!プリンセスプリキュアが描いたものは自分を成長させるための努力、その努力を引きだすための夢でした。対して魔法つかいプリキュア!が描くものは今と未来の両方ともを楽しむための努力。それぞれお互いを否定するものではありませんが、それぞれ努力というものに対する見方が違っていますね。
たぶん、どっちも努力のかたちとして正しいものだと思います。お互いを否定するものではない以上、両立もするでしょう。これが両立しえないならば、今を楽しむようになったリコは立派な魔法つかいになれませんしね。
少々スレてしまった私たち大人はついつい「どっちか選べよ」「二兎を追う者は一兎をも得ず」なんて言っちゃいますが、それは限られたリソースを振り分けるときの話です。リソースが限られているなら。あくまでそういう前提の下での発想だということを忘れてはいけません。
リソースが足りないなら増やしちゃえばいいんです。理想論なんかじゃありませんよ。なかなか難しいだけで。だって、私たちは目の前にある何もかもをすべて把握しきっていますか? これ以上どこからもリソースを持ってくることはできないと、必ずしも断言できますか?
日常はそこらじゅう魔法で満ちています。例えば壮太の「くるんっていうやつ」。例えばお婆ちゃんの新聞紙で窓をキレイにする魔法。例えば勝木さんが見つけた魔法つかいや妖精。私たちの日常には、私たちがまだ知らない、思いもよらない不思議なものがたくさん隠れています。
なかでもいっとう強力なものが、「手をつなぐ」奇跡の魔法。ひとりではどう頑張ってもできなかったものが、みんなでならあっさり解決できてしまう。ふたりの力が3人分にも4人分にもなってしまう魔法。
トパーズという石は、かつてとても険しい環境でしか採ることができず、珍重されていました。だからその名は「探し求める」という意味の言葉に由来します。これに由来してパワーストーンとしてのトパーズには創造性や感受性を高めるパワーがあるとされます。なかなか手に届かないなら違うやり方を試してみよう、違うやり方を探してみよう。そういう人々の飽くなき冒険心がたくさんの発見を生み、私たちの生活を豊かにしてきました。
見方を変えることです。ふたつのうちの片方を諦めてしまう前に、ふたつの両方ともを欲張ってしまえる方法を探してみましょう。大丈夫、たぶん探してみること自体、きっとワクワクする楽しいことですから。あなたのその努力は絶対に無駄にはなりません。
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