映画魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン! 感想

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このブログはあなたが視聴済みであることを前提に、割と躊躇なくネタバレします。

 全体のディテールの話は別記事に分割したので、こちらではさっそく語りたいところから好き勝手語ります。

 以下、もう少し別の観点から読み解こうと試みた文章。

みらいの問題

 テレビシリーズで何度も言及されているとおり、みらいには夢がありません。
 とはいえ夢をテーマにした物語は前作Go!プリンセスプリキュアであって、今作の中心テーマは「手を繋ぐ」ことです。その文脈において夢を持つことはそれほど重要なことなのでしょうか? ・・・重要なんです。だってみらいはそれがゆえに、誰かと手を繋ぐ機会を喪失しているのですから。

 ダークマターにモフルンをさらわれたみらいはすぐさま捜索に乗り出します。さすが、補習授業初回に「考えてるだけじゃ見つからないよ!」と一番に紙のちょうちょを見つけただけのことはあります。友達のまゆみも彼女のこういう行動力を尊敬して親しくなったんでしたね。行動力はみらいという人物の大きな美点です。
 ただし、捜索をはじめたとき彼女はひとりでした。誰にも相談せず、たったひとりで飛び出していきました。当てもなく、がむしゃらに、目の下にクマができるほどクタクタになるまで、ひとりぼっちでモフルンを探し続けました。
 どうしてこんな無謀を働く必要があったのでしょう。今回の舞台は魔法界です。モフルンのことを隠す必要なんてありません。事実、みらいが飛び出していった直後、大人たちはモフルンを失ったリコたちを慰め、捜索することを約束しています。みらいがほんの少し立ち止まったなら、周りを頼ったなら、彼女がこうも憔悴してしまうことはありませんでした。
 これこそがみらいの問題。夢を持たないことを原因とする彼女の不幸です。

 夏休み、リズ先生とのお茶会でみらいはこんなことを話していました。「いいなあ。私も何かやりたいこと見つけたいよ」
 まゆみはみらいのことをこう評しています。「みらいはいつも自分のことより誰かを応援してばかりなの!」
 それから補習授業最終試験の日、そんなに早くお別れしたいのかと質すリコにみらいが返した言葉。「絶対合格して、リコは二年生になって、魔法がんばってほしい。だから私、今は試験のことだけ考えようって。寂しいとか考えてちゃダメだって」
 みらいは夢というものに強い憧れを持っています。だから夢を持たない自分よりも、夢を持っている他人のことばかりを優先してしまいます。ハピネスチャージプリキュア!の愛乃めぐみに少し似ていますね。
 その性向は一面的には思いやりという美徳として機能しますが、見方を変えるなら彼女には自己愛が欠けているとも取れます。

 彼女は他人を助けるくせに、自分のために誰かの助けを借りようとはしません。
 だって彼女にはやりたいことがないから。夢がないから。何をしたいとも思っていないから、誰かの手を借りるにしても、そもそも借りようがないわけです。道理ですね。
 ・・・そう、思い込んでしまっているんです。彼女は。私も映画を観るまでこう結びつくとは気付きませんでした。
 自分にやりたいことがないから誰かを応援してばかり。おかしいじゃないですか。だとしたら、どうして彼女は今、たったひとりでクタクタに憔悴してしまっているのですか。

 テレビシリーズの方で、みらいはもうひとつ問題を抱えていましたね。
 「悲しいお別れはもうしたくない」 ドクロクシー戦でのはーちゃんとのお別れに端を発したこの誓いは、しばしば彼女自身を追い詰めます。夏休み最初の日、ラブーとの初めての戦いで彼女は傍にマジカルやフェリーチェがいるにもかかわらず、たったひとりでドンヨクバールの弾幕に飛び込んでいきました。
 今回モフルンを捜索するためにひとりで飛び出していったのと同じです。彼女は自分のために誰かの助けを借りようとしません。「悲しいお別れはもうしたくない」けれど、そのために努力するのはいつも自分ひとりだけです。
 おかしいじゃないですか。「悲しいお別れ」はみらいひとりの問題ですか? たったひとりでがんばらなきゃいけないことですか?

 決してそんなことはありません。
 ひとりで飛び出していったみらいを心配して、リコが追いかけてきてくれます。モフルンが心配なのはみんな同じ、それよりみらいまでいなくなったらどうするんだと、悲しそうな目で叱ってくれます。
 「悲しいお別れはもうしたくない」のはみらいだけの問題ではありません。リコやはーちゃん、モフルン、みんな共通の願いです。みらいは忘れていましたね。自分もまた「悲しいお別れ」を引き起こしかねない、大切なひとりであることを。
 それからもうひとつ。「悲しいお別れはもうしたくない」 これだって立派な願い事です。ミラクルライトから人並みの大きさの風船が膨らみます。みらいの願い事はどこにでもありふれている、小さな夢です。
 だとしたら、みらいはもっと周りに頼ってもいいですよね。みらいがみんなの夢を応援し続けてきたように。今度は彼女自身の夢のために。

 手を繋ぐというのは、本来は私とあなた、ふたりですることです。片方がもう片方の手を一方的に握ることではありません。
 みらいひとりが周りの手を握ろうとしてもダメなんです。みらい自身も助けを求めて、相手から手を差し出してもらわなければ。そうしてはじめてちゃんと手を繋いだっていえるんです。

モフルンとクマタの違い

 魔法つかいプリキュア!がふたつの世界を舞台にする物語だと知り、そしてまたテーマが「手を繋ぐ」だと知ったとき、この構造は差別問題を扱うのに向いているなあと思ったものです。魔法つかいとそうでない人がいるなら、両者の間には当然軋轢が生まれるはずですから。
 もっとも、幼児向けアニメでそこまでシビアな問題は取り扱わないだろうと高をくくっていましたが・・・。

 やってくれましたね。
 森に住むクマたちはクマタを恐れます。クマたちだけではありません。人間や植物たちですら、彼を避けて逃げ隠れします。クマタには忌まわしいほどに強力な魔法の力が篭もっているから。
 シビアな問題ですとも。おっかないですもん、自分じゃ敵いっこない人を仲間に迎え入れるのって。もし何かの拍子にその力を自分に向けられたら? 安全管理の考え方からするとそんな人を受け入れる時点でただの自殺行為です。道徳・道義の観点以前の問題です。無理なものは無理。そんなだから世に差別問題は尽きません。
 もちろんこの物語はプリキュアなので「無理なものは無理」じゃ済ませません。プリキュアは諦めろといわれて素直に諦めるお行儀のいい物語ではありません。

 森に住むクマたちはクマタを恐れます。それと同じように、モフルンのことも恐れます。モフルンは森の外からやってきた異邦人だからです。
 これもまたよくある差別構造ですね。よく知らない相手は何をするかわかりません。いざというとき鎮圧できるかどうかもわかりません。おっかないです。仲よくなんかなれっこありません。
 さて、「無理なものは無理」で済ませないなら、魔法つかいプリキュア!の物語はこの差別構造をどう乗り越えるでしょうか。
 答えはシンプルです。伝家の宝刀、奇跡の魔法。「手と手を繋げばお友達」です。って、このセリフは某幸せの王子のものですが。
 相手のことをよく知らないなら知ればいいんです。向こうが自分のことを知らないなら自己紹介すればいいんです。もちろんそう簡単にはいきませんとも。こちらが友好的に接しようとしたところでやっぱり相手は怯えます。けれど、それで尻込みしてしまっては仲よくなれっこありません。
 モフルンは恐れず踏み込みます。クマたちの傍まで行って、手を繋ぎます。それで差別は解消。簡単なものです。
 もちろんこれは構造を極限まで単純化したもので、現実にはそう簡単に解消されるものではありません。もっと七面倒くさい腹の探り合いとか権威とか偏見とかがいっぱいありますが、それでも突き詰めるとこうなります。
 知らないことが問題なら、知ってもらおう。

 クマタの方の差別構造だって極限まで単純化してしまえばモフルンと同じ解法が取れるんですよね。強い力が問題なら、自分にそれを振るう意志がないことを知ってもらえばいいだけです。
 クマタは知ってもらうための努力を投げだしていました。雪原で暖を取るための火を出しては恐れられ、砂漠で喉を潤すための水を湧かせても恐れられ、やがて彼は歩み寄るための努力を諦めました。だから差別構造は解消されず、いつまでもひとりぼっち。
 もちろんクマタが抱える差別の種はモフルンのそれよりずっと重いもので、仮にモフルンと同じことをしていたとしてもクマたちと手を繋ぐことはできなかったでしょう。彼の持つ魔法の力は生まれついての理不尽です。友達がほしいと願うなら、彼は普通の人よりもたくさん努力をしなければいけません。
 それでも努力しなければいけないのはクマタです。だって願っているのは彼自身なんですから。普通の人とは違う理不尽に苛まれようと、彼が手を伸ばさなければ、彼は誰とも手を繋ぐことなんてできません。世界から魔法つかいという概念が消えたって、彼の身に宿る理不尽が解消されたって、それは変わりません。

繋がらなくても伝わるもの

 ・・・なんて。世の中そんな徹頭徹尾個人主義的価値観がまかり通るほど冷たいものじゃありませんよ。
 みらいが助けを求めなくたってリコが助けに来てくれたように、クマタが手を伸ばさなくたって向こうから手を差しのべてくれるおせっかいさんはちゃんといます。モフルンはクマタの優しいところ、寂しがっているところをちゃんと見つけて、彼を好きになってくれました。クマタが手を伸ばしていなくても構わず、向こうから手を差しのべてくれました。
 あとはクマタがモフルンの手を掴んでくれさえすれば、それでめでたしめでたし。

 難しいんですけどね。
 ひとりぼっちを拗らせて人間不信に陥ってしまっていたクマタはモフルンに二者択一を迫ります。プリキュアを選ぶか、自分を選ぶか。裏切られないための確証が欲しくて、相手を試してしまいます。
 さて、この物語はプリキュアです。二者択一の選択を突きつけられたときは両方選んだあげく、イジワルな出題者すら救済してみせるのがプリキュアです。

 「みらいと一緒にいたいモフー!」 片方を選択したわけではありません。選んだもののひとつを言葉にしただけです。片方を選んだからって、もう片方を諦める気なんてありません。プリキュアなら。
 みらいたちを守るためにダークマターと戦うキュアモフルン。ですが戦っている相手の孤独を認めるやいなや、彼女(性別はないそうですが便宜的に)はひとりぼっちの子を抱きしめようと彼の目の前に飛び込んでいきます。
 ところがクマタの方はひとりぼっちを拗らせてしまっているわけで、当然キュアモフルンは拒絶されてしまいます。ひとりで飛びだしていったみらいと同じ。自分から手を伸ばさない人は、誰から手を差しのべられたところで、結局誰とも手を繋ぐことはできません。

 けれど、それでも伝わるものはあるんです。
 「素直な言の葉は、ときに魔法となって人の心を動かす」 かつてはーちゃんは校長先生の考えを言葉によって改めさせました。手を繋ぐことは、心を繋ぐことはたいへん素晴らしいことですが、だからといって手を繋がらなければ何も伝えられないというわけでもありません。
 今回の映画でもはーちゃんは、まだ知り合ってすらいないフレアドラゴンと視線を交わしただけで意気投合し、ふたりで協力してサーカスの観客たちに祝福を振りまきました。また、のちにダークマターの魔法によって操られているフレアドラゴンの本意を見抜き、助けを求められるまでもなくピンクトルマリンの力で解放してあげていました。
 手を繋いでいなくても、伝わるものは確かにあるんです。
 キュアモフルンの献身的な愛情は手を繋ぐには至らなかったものの、それでもクマタを祝福し、彼を忌まわしい魔法の力から解放します。ひとりぼっちを拗らせていたクマタに、もう一度誰かと繋がろうとする勇気を与えます。

 伝わるものはあるんです。
 かつて先生の愛情を信じきれずにいた魔女ソルシエールは、死別という決定的な断絶によって、愛情の存在を確かめる機会を永遠に失いました。・・・彼女はそう思い込んでいました。
 けれど「考えてみて」。喪われた人に直接問いただすことはできないかもしれませんが、あなたには彼女との思い出があるはずです。たとえもう二度と会えない相手であっても、あなたは彼女の愛情を確かめることができるし、また彼女と手を繋ぐことだってできます。
 繋がらなくたって、伝わるものはあなたの中にあるんです。
 喪われたモフルンがみらいとクマタを奮い立たせます。「モフルンならこうする」と信じるみらいとクマタの言葉が、今度は魔法界中の人々に届き、魔法界中のみんなの心を繋ぎます。

 世界中みんなを巻きこんだ、とびきり大きな奇跡の魔法。手と手を繋ぐ奇跡の魔法は、たったふたりの繋がりですらドクロクシーをやっつけるほどの力を持つんです。いわんや世界中みんなでなら。
 100年に一度の奇跡くらい簡単に復活させられますとも。

双方向性

 いきなり思いっきりスケールの大きな話になりましたが、だからといってお互いに手を差しのべあわなければ手を繋げないという基本をないがしろにはさせません。プリキュアはそういうところはシビアです。今回の問題児ふたりにはちゃんと最後までがんばっていただきましょう。

 みらいの方は物語の中盤、モフルンと再会するときに。
 ひとりで飛び出していった自分を心配してくれるリコやはーちゃん、みんなの愛情を受け取って元気を取り戻します。
 それから「みんなと一緒にいたい」という自分の夢を自覚して、それを一緒に叶えてもらうために、まずは一番近しいモフルンと改めて手を繋ぎに行きます。今までは家族として当たり前のように愛情を受け取っていましたが、今度は自分も精一杯手を伸ばして、本当の意味で手を繋がなければいけません。自分の夢を叶えるために。
 イジワルなダークマターは諦めろとかなんとか言ってきますが、「嫌だ!」 そんなの関係ありません。みらいはみらいの夢を叶えるためにここにいるんです。今ばかりは他人の都合なんて後回しです。

 クマタの方は全てが終わったあとに。モフルン復活のときに半ば達成しているような気もしますが、禊ぎの意味も込めて。なんといっても子ども向けの映画ですから、大切な話はわかりやすく描かなくちゃ。
 またひとりでモフルンの元から去っていくクマタ。結局彼は未だひとりぼっちのままなのでしょうか。
 モフルンが声をかけると彼は振り返ります。返す言葉は一言だけ。「またな」 モフルンが伸ばした手はちゃんと彼に届いていて、彼もまたその手を繋いでくれていました。だから友達として再会を祈る「またな」。
 そんな彼の前に姿を現す一匹のクマ。クマタが差別されていたのは魔法のせいではありません。それはきわめて大きな要因ですが、根本的な問題は彼が手を伸ばすのを諦めてしまっていたことにありました。クマタがモフルンと手を繋いだ今なら、彼がそういうものを望んでいて、そういうことができる人だとクマたちに伝わった今なら、クマたちも勇気を出して彼に手を差しのべることができます。
 クマタはクマたちと手を繋ぎ、ようやく長いことくすぶらせていた願い事を叶えます。彼はただ、友達がほしかっただけなのですから。
 少ない言葉と短い絵で構成されたハッピーエンド、私こういうのに弱いんだ。
 「キュアップ・ラパパ! 思いが力になるよ。ミラクルライト振って、優しい気持ちでそっと見つめてれば、ほほえむわ」

 虹のアーチは太陽の魔法。テレビシリーズではこれから太陽魔法なるさらなる大技を得ることになっています。
 さて、魔法つかいプリキュア!は太陽の祝福を受けた奇跡の魔法によって、これからどんな人たちと繋がっていくのでしょうか。楽しみですね。

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