ヒーリングっどプリキュア 第26話感想 びっくりするために必要なもの。

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どう? アスミちゃん。たくさんびっくりできた?

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(主観的)あらすじ

 アスミはラテの成長日記を書こうと考えました。そうと決まれば、まずはのどかたちとヒーリングアニマルとの出会いの話から聞くべきです。今日ののどかたちはなんだかとっても忙しそう。街中探して、一人ひとり訪ねてまわることになりました。
 今話はいわゆる総集編です。

 のどかたちの話を聞いているうち、アスミはのどかたちの固い友情がなんだかうらやましくなってきました。しかも、のどかたちが忙しそうにしているのは、みんなで花火大会を見に行くためのようなのです。
 疎外感に悲しい気持ちでいっぱいになるアスミ。
 ですが、そこにのどかがやってきて、アスミをどこへか連れていこうとするのです。

 はたしてそこはのどかたちお手製のスペシャルな花火見物会場。流しそうめんや浴衣、ラテそっくりな打ち上げ花火まで用意してありました。
 みんな、アスミを驚かせたくてナイショで準備していたのでした。アスミは驚いて、今度はうれしい気持ちでいっぱいになって、びっくりする気持ちが大好きになるのでした。

 次回予告を見ていて、さて、何の記念でサプライズイベントをやるのかと思っていたら、別に何でもなくただやりたかったから用意されたサプライズでした。イベントごとってそういうものよね。
 古くから続いている数々のお祭りの多くは、大本こそ神様へ祈りや感謝を捧げるための厳かな神事として始まったもののはずでした。ところが、すぐに神事としての性質は薄れ、普段の日常とは違う特別な娯楽を楽しむ目的へと変質させられたうえで大切に保存されてきました。各地に残る伝統的な花火大会はお盆の送り火が変質して生まれたもの。今となっては多少お盆を過ぎても気にする人なんていませんが。
 結局みんな、楽しい日は特別な日であってほしい、という気持ちが第一なのよね。いわゆるハレとケのお話ですが、案外大本の由来自体は楽しむための口実でしかなかったりします。

 アスミはのどかたちの持つ数々の想い出を羨みました。自分だけ花火大会に誘われなかったのは仕方ないことだと、彼女たちとの想い出が少ないのなら当然のことだと考えてしまいました。
 けれど、それは違います。ステキな出来事があったから想い出の日になるのではありません。大好きな人との友情や愛情を噛みしめたいから、何気ない日常のひとコマが想い出に変わるんです。
 世のなかには恋人との出会いの日を記念日にするだけでなく、半年記念、1ヶ月記念、あるいは夕食に出したサラダをおいしいと言ってもらえたことを理由に記念日とする人までいます。別に本気でそれが記念すべき重要な日取りだと思っているわけではありません。まず祝福したい気持ちが先にあって、それでテキトーな口実が後から決められるんです。
 想い出の多寡は友情の深浅と関係ありません。想い出が少なかったら増やせばいい。記念日が少なかったらつくればいい。今のあなたと楽しみを共有したいと思う人たちがいるのなら、特別な想い出は後からいくらでも付いてきます。

 アサガオの花言葉は「固い絆」。ツタが支柱にしっかり巻き付いてほどけない様子に由来しています。

 「驚いてみたい」と君が言ったから明日はみんなでサプラーイズっ!

それは友達の日記を丸写しするみたいなもので

 「そうだ。私もラテの成長日記をつくります。となると、私の生まれる前の出来事についてちゆたちに話を聞かなくてはなりませんね」

 やめなよ、そんな8月末の切羽詰まった小学生みたいなこと。その日その日に自分で見聞きしたことを書くんじゃなければ日記っていわないって。ちなみに私はページごとに使う鉛筆を取り替えて、ちゃんと毎日書いてたっぽく演出していました。小賢しい。

 いつもズレているアスミですが、今話に至っては初めから盛大に間違っています。ハナから自身の観察をもとに日記を書く気がありません。最後の最後になってから、ついでみたいに自分とラテの想い出を書き記します。
 要するに、そもそもアスミが本当にしたかったことはラテの成長を記録することではなく、自分が生まれる前の出来事をみんなに聞いてみるきっかけをつくることだったんですね。日記というより自由研究のカテゴリです。

 「のどかはいつも一生懸命で、とっても優しいラビ」
 「私もそう思います」

 「ちゆはいつでもどこでもカッコいいペエ」
 「ありがとうございました」

 「ひなたって緩いとこあるけど、そこがノリ良くていいんだよな」
 「ひなたと似た者同士ですね」

 「3人で力を合わせるうちに自然と距離が縮まったのよ」
 「3人で、力を合わせて・・・」

 「で、3人のコラボ技でみごと浄化したってわけ。どう? どう? いい話でしょ」
 「3人のコラボ技。なんだかうらやましいです」

 「私もみなさんと一緒にお手当てしたいです」
 「うん? アスミちゃんもみんなと一緒にお手当てしてるよ?」
 「私もそう思っていたのですが、どうしてだか今日はそう思えず・・・」

 最初はみんなの語る想い出話を聞くことで、彼女たちの思いを自分も共有できると思っていました。でも、だんだんアスミの想像していなかったようなエピソードが増えていって、みんなの想い出話は他人事に、自分から遠い出来事のように感じられるようになっていきました。
 花火大会の噂を聞かなかったとしても、アスミはやはり同じような疎外感を感じてしまっていたことでしょう。
 誰かの体験に共感できることは珍しい話ではありません。共感できるからこそ、私たちは生まれも育ちも違う他人とでも親しくなることができます。
 ですが、他人はあくまで他人です。あなたとは生まれも育ちも違います。いくらか共感できる部分があったといえど、根本を掘れば掘るほど自分とは違う別の側面ばかりがたくさん増えていくものです。他人の想い出は自分の想い出になりえません。
 日記ではなく、自由研究のインタビューのつもりで話を聞いてみるべきでしたね。

 みんなの想い出を知りたいと思いました。
 だって、アスミはのどかたちのことが好きだからです。
 好きだから、もっと仲よくなりたいから、もっとお互い近い存在になりたいから。だから、みんなの思い出話を聞きたいと思いました。日記にまとめて、自分も共有したいと思いました。
 それがアスミのそもそもの失敗。勘違い。

 それはアスミのものになりえません。
 アスミはのどかじゃないから。ちゆや、ひなたや、ラビリン、ペギタン、ニャトランじゃないから。
 過去と現在は連続しています。彼女たちと同じ存在になりたくて想い出を共有しようとすればするほど、あなたは自分と他人とが異なる過去に根ざしていることを痛感するはめになるでしょう。

 アスミは自己認識できていなかったでしょうが、今回彼女がしようとしていたことはつまり、そういう類いのことでした。

 「理解しました。今日、のどかたちは学校のお友だちと花火大会に行く。だからお忙しかったのですね」

借りものの言葉

 「“3人のコラボ技について” ヒーリングオアシスという技は、のどかたち3人が協力して生み出した技のようです。ラテさまおよび地球のピンチに立ち向かう中であみ出された技には、ラテさまへの愛が詰まっているように思います。私が生まれる前も、ラテさまが深く愛されていたという事実をとてもうれしく」

 「――思います」とは、とても書けない。

 「私はラテをお守りするために生まれました。私はラテがいればそれで充分なのです」

 自分の生まれついての使命を思えば、こんなに喜ばしく思うべき話もないはずなのに。
 なのに、最後の1文節だけがどうしても書けません。
 わかっています。その理由が。

 「すみません。私、本当はのどかたちと一緒に花火大会に行きたかったのです」

 風鈴アスミが望んでいることは、ラテを守ることだけではないからです。
 むしろ、今回日記を書きたいと思ったこと自体そんな使命とは無関係に、ひとりの個人として、のどかたちと想い出を共有したいと思ったからです。
 借りものの使命で、借りものの想い出で、私の思いを「うれしい」とすることはできない。

 おかしな話です。

 “好き”も“かわいい”も、その他たくさんの感情ひとつひとつ、みんなのどかたちから教えてもらったもののはずなのに。
 ラテを守る使命以外の生きかた、ラテと一緒に地球をお手当てするという今のありかたすらも、自分ではなくラテが望んだもののはずなのに。
 風鈴アスミという存在は全てが全て自分自身でつくりだしたものじゃないくせに。なのに、アスミは他人から聞いた想い出を、他人の言葉で、「うれしい」とすることができません。

 その「うれしい」は、それでも、私のものじゃない。

あなたが数多の願いとともにありますように

 風鈴アスミはプリキュアです。

 たぶん、キュアアースとして生まれた最初のころはプリキュアと呼べるような存在ではありませんでした。

 「お願い、ラビリン。私は運動得意じゃないけど、お手当てだけは、プリキュアだけは、何があってもがんばるから! 苦しむ地球をラビリンと一緒に助けたい! これが今、私の一番やりたいことなの!」(第2話)

 のどかたちはそれぞれ自分のどうしても叶えたい願いがあって、けれど自分ひとりでは叶えることができなくて、その願いのためにパートナーの力を借りたくてプリキュアになりました。
 この物語において“プリキュア”がそういう存在であるならば、最初のころのアスミはプルキュアではありませんでした。プリキュアであったのはむしろラテのほうです。
 ですが、今のアスミはプリキュアです。

 「私ね、いろんな人にたくさん助けてもらって、今、こうやって元気でいられるの。それで、私もいろんな人を助けたいって思うようになったのね。だから、そういうふうに生まれたんじゃなくて――、経験して、変わったんだと思う」(第21話)

 いくつかの物語を経て、いくつかの成長を重ねて、アスミはプリキュアと呼ぶべき女の子に変わりました。
 のどかたちと同じ存在たりえるようになりました。

 「風よ。私の思いを運んで!」(第24話)

 アスミの知る感情ひとつひとつはのどかたちから教わったもの。
 アスミがこうしてここにいること自体、ラテの願いによるもの。
 それでも、今のアスミにはアスミだけの思いが、願いが存在します。

 だから風鈴アスミはプリキュアです。
 アスミは自分ひとりではどうしても叶えられない願いを叶えるために、今、ここにいます。

 「やったー! アスミンが驚いた!」
 「アスミちゃんを驚かせるために、みんなでこっそり準備してたんだよ」
 「驚いてみたいって言ってたでしょ」

 たとえばそれは、自分ひとりだけでは絶対に叶えられない願い。
 友達がいてくれないとどうしようもない願い。

 仮にアスミがいくら望んでも、のどかにはなれません。ちゆや、ひなたや、ラビリン、ペギタン、ニャトランにもなれません。ですが、幸いにして、今回アスミが本当に願っていたことはそういうことではありませんでした。
 疎外感は感じていました。同じ想い出を共有できないから。自分とみんなとが他人であることを痛感させられたから。
 けれど、それはあくまでのどかたちともっと仲よくなりたいと思っていたからです。本当の願いはそっちであって、想い出を共有するのは手段でしかありません。今話のアスミはそのあたりの自分の気持ちを整理しないままでいたから落ち込むことになってしまったんですね。
 「私が生まれる前も、ラテさまが深く愛されていたという事実をとてもうれしく」――“思います”、と書けないことまでは自覚できていたのに。惜しい。

 私とあなたが他人だからこそ、できることがあります。
 私という人が、私だけの個人的な思いを持つからこそ、誰かと一緒になってできることがあります。

 たとえばびっくりすることとか。
 びっくりさせることとか。

 そんな、誰もが知る当たり前の喜びをまたひとつ自分のものにして、アスミはプリキュアらしく成長していきます。

 「テアティーヌヘ。わたくしをのどかたちのいる地球に誕生させていただき、ありがとうございます」

 『ヒーリングっどプリキュア』における“プリキュア”とは、自分の個人的な願いを叶えるためにパートナーと協力しあう存在のこと。
 元来、プリキュアとはそういうものでした。どこにでもいる普通の女の子が、自分の大切なものを守るために戦う、自己犠牲を伴わない個人主義的なヒーロー像でした。

 「地球のため。みんなのため。それもいいけど忘れちゃいけないこと、あるんじゃないの?」(『ふたりはプリキュア』EDテーマ『ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!』)

 どうか、あなたがあなた自身の望む数多の願いとともにありますように。

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