ピクロスとアニメ考察の類似性について。

 ちなみにこの記事の結論は「どっちも楽しい」です。

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※ 縦の中央列間違ってるじゃん! (スクショ撮ってから気づきました)

 15*15マスに対して横1,1,9だから7マス確定。2,9なら6マス。2,12なら・・・おお、全マス塗れた! さらにさらに、この行は下から3つ目なので縦列末尾2なら一番下が×、1なら2行目が×、4より大きい数字なら上のマス目が塗れるー。縦増えたからこれをヒントにさらに横進めて、うっはー、止まらないー! さらにさらにさらにだよ、ここメガ数字の前に普通の数字が来てるからー・・・

 ピクロス楽しい! 超楽しい!
 ぼちぼち秋アニメ始まってるのに、スプラトゥーンも今週末新ステージ来るのに、最近ピクロスばっかりやってます。解くの遅いけど。
 昔っからこの手のパズルが好きなんですよね。懸賞とか応募しないくせにパズル誌買ったりして。総合誌だとピクロス(イラロジ)の問題数が少ないのが玉に瑕。あと紙だと消し跡がわかりにくいのも玉に瑕。あと彩色してくれないので何の絵だかわかりにくいのも玉に・・・(そろそろ玉じゃなくなるのでは?)
 私、コツコツ地味作業を進めるのが大の苦手なはずなんですが、これに限ってはもう何時間でも延々やってられるんですよね。

 そんな具合で先週から頭の中がピクロスでいっぱいだったもので、仕事の合間合間にピクロスの何がそんなに好きなのか考えていました。
 はっと気づきました。

 ピクロスとアニメ考察って、似てね?

例:フリップフラッパーズ第13話、メルヘンのない世界

 アニメを見ていると、ときどき意図のわからないシーンに出くわすことがあります。

 たとえばフリップフラッパーズの最終回。

フリップフラッパーズ第13話感想 第一夜。巣立つあなたが贈る、とびきりの優しい「嘘」。

 ラスボスたる過干渉なお母さんをグーパンでやっつけたあと、唐突に新展開が始まります。
 メルヘン要素いっぱいだったそれまでの物語から一転、ものすごく普通の、現実臭い世界が描かれます。謎ロボットはただの重機に。珍妙ペットは普通のウサギに。夢の世界も秘密基地も不思議パワーも変身能力も、全部なかったことにされてしまいます。
 設定上、このアニメのメルヘン要素はラスボスさんから生み出されていることになっているので、彼女が倒されたらそういうものがなくなるのも一応は道理が通っている気もしますが・・・。

 実はこの現実くさい世界、ニセモノなんですよね。本物の現実世界は別にあって、ラストシーンでは主人公たちが復活したメルヘンパワーでそこに帰っていきます。ラスボスお母さんに見守られつつ。

 うん。じゃあどうして意味不明なニセモノ世界を描写したの? 最初見たときはさっぱり意味がわかりませんでした。
 ラスボスやっつけたんだから寄り道せずに現実に帰ればいいじゃん。それとも単に視聴者をビックリさせたかっただけ?

 個人的に後者の考え方は気にくわなかったので、視聴当時の私は(苛立ちを抑えて)もう少し深く考察してみることにしました。

考察ピクロス

 最初に考えるべきはまず、このニセモノ世界をつくったのは誰か。これははっきりと描写されていました。――主人公自身です。
 では何が目的でこの世界をつくったのか。それがわかったら苦労しません。――保留。
 ではこの世界をつくったことで何が変わったのか。これもある程度はわかります。――どういう原理かまではわかりませんが、当初悲劇的なお別れをするしかなかったはずのラスボスお母さんが、この世界では穏やかな笑顔で主人公を見送ってくれるようになりました。

 次。
 少し視点を変えて、このアニメのテーマについて。
 物語開始当初、主人公に欠けていたものは何か。――積極性。自主性。その他自分らしく生きるための諸々の精神性。
 ラスボス戦でやり玉にあげられていた問題は何か。――親離れ。もっと言うなら自分の意志で未来を選ぶための決意。
 そのふたつは互いに対応する概念か。――YES。主人公はラスボス戦の時点ですでに果たすべき成長を遂げていました。
 つまり、このニセモノの世界において描かれているものは主人公を成長させるための試練ではないということになります。

 ではさらに次。
 また視点を変えて、ラスボスについて。
 このラスボスは憎むべき悪党か。――NO。彼女は悲劇的な生い立ちの哀れな女性であり、また主人公を守り慈しむお母さんです。子離れできてないけど。
 このラスボスは戦いを経て救われたか。――半分NO。彼女は自分の境遇を受け入れて子離れしましたが、依然悲劇的な立場は変わらず、これからもひとりぼっちで苦しまなければなりません。
 主人公はこのラスボスをどう思っているか。――それはもう、もちろん助けたいともがいていました。
 つまり、このラスボスを取りまく物語は最後の戦い終了時点でまだ終わっていなかったことになります。

 これによって先ほど保留していた疑問の答えが表れます。
 主人公は何が目的でこのニセモノの世界をつくったのか。――ラスボスたるお母さんを助けたかったから。
 だとすると、最終的に問うべき問いはこうです。このニセモノの世界はラスボスを救うことができるのか。

 さて、ダラダラと長い記事ですがまだ続きます。
 ラスボスの悲劇とは何か。――生まれながらに特別な力を持っていたこと。そのせいで実験動物のような扱いを受けたり、愛する人たちと引き離されたりしました。
 それは別の悪党をやっつければ解決するのか。――NO。彼女を実験動物扱いしていた科学者はすでに死んでいますが問題は未だ解決していません。
 その特別な力を持ったまま悲劇を終わらせることはできないのか。――NO。彼女の力は非常に魅力的で、別の科学者も並々ならぬ関心を寄せています。・・・が、問題の本質はそこではなく、そもそも彼女自身が自分の力に絶望してしまっていることにあります。
 つまり、もしラスボスを幸せにしようとするなら、その特別な力を喪失させることが何よりの絶対条件となります。

 最後。それではいよいよニセモノ世界の話に戻りましょう。
 ニセモノ世界とはどういう世界か。――この物語特有の不思議なものが一切ない世界。
 その不思議なものとは何か。――あらゆる生命の集合的無意識が云々という説明がされますが、まあ要するにラスボスさんが持っているような力のことです。

 というわけでこの問いです。このニセモノの世界はラスボスを救うことができるのか。――YES。

 主人公はラスボスたるお母さんを救うために不思議なものの存在しないニセモノ世界をつくりました。
 ラスボスさんは特別な力を持っているせいで傷つき絶望していたため、彼女を救うためにはそういったものが存在しなくなる世界が必要だったわけです。

 さて、これでニセモノ世界の存在価値には説明がつきました。
 ところが私の当初の疑問はニセモノ世界の存在意義です。どうしてわざわざこんなものを描写したのかという疑問。
 というわけでもう少しだけ考察は続きます。

 ラスボスの救済はこの物語のテーマに直接結びつくか。――NO。この物語のテーマはあくまで主人公たる少女のひとり立ちや、未来を選び取る意志にあります。
 ならばこれは無意味な蛇足か。――NO。これは主人公が自分の意志で選び取った最初の未来図です。彼女が選んだ道を描くことで、彼女が立派に成長したことを証明しています。
 以上の考察を補強する材料は何かあるか。――オープニングテーマ『Serendipity』の歌詞ならびに表題。この歌詞は主人公の物語であると同時に、ラスボスの物語でもあります。これが「出会うべき愛に出会ったんだ」と暖かな言葉で結ばれるならば、ふたりの物語はどちらも救われるべきだと思います。そしてSerendipityとは「思いがけない幸福」のこと。たとえばこのニセモノ世界もそういう類のものだと思います。

ああ、楽しかった!

 ・・・とまあ、そんな感じで長々と考察を組み立てていった結果が、当時のポエミィ全開でワケワカンナイ感想文だったりします。がんばって考えたからといって必ずしも論理的な文章が書けるようになるわけではありません。というかそもそも私あんまり論理的に書く気がないですし。

 でも考察したおかげで私は納得できました。
 正直初見だとちょっとイラッとしていた最終回が大好きになれました。

 一見意味がわからない物語であっても、とりあえずわかっている情報を並べていくと何か新しく気づくことがあります。
 新しく気づいたものをさらに注意深く観察していくとさらに新しい情報が飛び出してきます。
 既存のものと組み合わせてみてまた新しい情報も。
 それを繰り返していくうちに、そのうち思いもよらない方向から、当初意味を掴みかねていた部分に光が当たることがあります。
 1回観ただけで全部わかったつもりになっていた物語が、まるで全然違う姿を見せてくれることがあるんです。
 まるで縦のヒントと横のヒントを様々に組み合わせて解いていくピクロスのように。(やっと表題回収)
 それがすごく楽しい。

 キラキラプリキュアアラモードの「大好き」と「悪意」にたどり着いたのも楽しかったですし、正解するカド最終話の真藤が仕掛けたものの意義に挑戦するのも楽しかった。魔法つかいプリキュア!のラスボスが「悲しいお別れ」そのものだったときには嬉しくて小躍りしました。
 プリンセス・プリンシパルのトランプネタとか最高でしたね。あんまり重要なシーンじゃないからこそゲーム気分で思う存分考察できましたから。
 楽しいんですよ、考察って。ぱっと見の当て推量ではなくロジカルにロジカルに突き詰めていくほどに、どんどんずんどこ楽しくなっていくんですよ。果たして私の思考が本当にロジカルかどうかは知らないけれど。
 でもとにかく楽しいんです。

 まあピクロスと違って答えを確認できるものじゃないんで、本当に制作者の意図に合致してるかというとわかんないんですけどね。知らないし、知れないし、知る必要性も感じませんが。
 私とあなたの見る世界はそれぞれ違います。私が観るアニメの姿と制作者が観るアニメの姿だって、当然違います。傲慢に思うかも知れませんが、私は基本的にそういうスタンスです。

 私の目の前にあるものを楽しく観るように、楽しく観られるように、私なりに考えて、いつもたくさん考えて、その楽しかったひとときの片鱗ひとかけらくらいでも誰かに伝えられたらいいなと、まあそんな感じで私はこのブログを綴っています。

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