少女終末旅行 第9話感想 生きる理由、死ぬ理由。終末を求める生命の在処。

私たちには関係ありません。ただ維持していくだけです。―― 永遠の孤独

少女終末旅行 1 [Blu-ray]

 ユーの全裸よりもちーちゃんの下着姿の方がエロく見える不思議。
 いや不思議でも何でもないのだけれど。私、羞恥フェチなので。
 しかしアレですね。一糸まとわぬ裸体を見るとエロスよりも先に根源的な美への憧憬が胸を支配しますね。見なよ、溺れたちーちゃんを助けに潜る、金色のユーの天使っぽさを。イデアは天より舞い降りて、而して我が心にぞ在る。
 西洋美術史において一時期裸婦画が流行ったのも頷ける話です。・・・うん、まあ、あのムーブメントには堅苦しい宗教画に飽きた貴族たちのエロ需要もやっぱりあったらしいけれど。

 何の話だっけ。
 そうそう、水中で揺れるちーちゃんの肩ひもがエロいという話でした。(終わるまでは終わらないよ / 終わったよ)

生命論

 「ねえ、生きてるってどういうこと?」
 生命の定義というのは大昔から哲学者たちに愛されてきた答えのないナゾナゾでして、人類はこれに対して幾千の時間をかけて幾万もの答えを提示してきました。未だその正解がはっきりとひとつに絞り込まれる気配はありませんが、このナゾナゾに取り組む論理はたくさんの社会問題や技術研究に応用され、人間社会の発展に寄与しつづけています。答えのないナゾナゾの答えは、きっとそのどれもが正解なのでしょう。

 「ねえ、さっきの何だと思う? えー・・・なんか、なんかデカいやつ。あれって生き物なのかな?」
 「いや、生き物ではないだろう。どう見ても機械だったし。そもそも機械は息もしないし意識も無い。私たちが乗ってるこいつと一緒だよ。機械は勝手に動いたり考えたりしない」
 「じゃあさ、もし機械がひとりでこっちに向かって歩いてきて『こんにちは』って挨拶したらどうする?」

 “哲学的ゾンビ”と呼ばれる思考実験ですね。響きがカッコイイのでオタクの必修科目になっているアレ。
 その場その場の思考ではなく事前に登録された各種反応によってのみ動き、しかし見た目には人間と全く区別のつかないふるまいをする人形があるとして、さてコイツは意識を持っているといえるのか。
 他者からしか観測できない“ふるまい”と自己にしか観測できない“意識”を同じテーブルの上で論じようとする時点で割とナンセンスな命題なんですけどね。ですが私たちはいつだって自分の主観でしか対象を観測できないんですから、他者の自意識という視認不能なものを観測したいと思うなら、確かにこういうアプローチをするしかないのかもしれません。

 「こんにちは」
 ちなみに現在私たちが“人工知能”と呼んでいるソフトウェアは、自己学習によって無数の反応パターンを事前に用意し、その莫大な物量によって人間らしいふるまいを表現する・・・つまり哲学的ゾンビと同じ発想でつくられています。

 さて、ここまでうだうだとどーでもいいことを書いてきましたが、では本題。
 生命とは何をもって生命たりうるのでしょうか。
 たとえば、ロボットは生命と呼べるのでしょうか。

 「私はこの区画を管理する自律機械です。安心してください、あなた方に危害は加えません」
 「よし! だったらムリヤリ食べよう!」
 「やめてください。本来なら攻撃的な部外者に対して警備機械を呼ぶことができるのです。が、現在は通信が途絶えています」
 「ダメじゃん」

 そう言いながら本気で魚を食べようとしないあたり、ユーはこの時点ですでにロボットを一個の生命として認識していたんでしょうね。

 実態のない懲罰には何の効力もありません。
 そこらで立ちションする。ゴミをポイ捨てする。行列に横入りする。これらは軽犯罪法を適用できる立派な不法行為ですが、これを法を犯す行為として認識している人はそう多くありません。適用実績がほとんど無いからです。
 ですが同時に、これらの行為をみだりに行う人もまた、そう多くありません。それで困る人がいるだろうことを知っているからです。誰かを困らせて気分が良くなる人はあまりいません。(羞恥フェチは例外) 軽犯罪の多くは法ではなくマナーで律されています。

 そう。「困る人がいる」。
 ユーは目の前の魚を食べるとロボットが困ることを理解して、食べることを諦めました。自分に危害が加えられるからではなく。
 ロボットが生命であるかどうかはよくわからないけれど、とりあえずユーは彼に対して人間と同等に尊重してあげたわけです。たぶん、なんとなく。
 ついでにいうとちーちゃんはロボットの視線に羞恥して全裸になれなかったわけで、ちーちゃんもまた彼を人間と同等に扱っています。やっぱり、なんとなく。

 もしその「なんとなく」を言語化してみるならば、たとえばこう表現することになるでしょう。
 「思ってたんだけど、本当に生きてるみたいだよね。機械なのに」
 「私たちは人間とコミュニケーションできるように、“共感”という能力が備わっているからでしょうか」
 「“共感”って何?」
 「『あなたたちが喜ぶと、私も嬉しい』ということです」

 たとえば“共感”をもって、私たちは生命の生命たりうることを認識することができます。
 いわゆるクオリアというやつですね。

生存理由

 さてこのロボット、実際無機質な機械らしからぬ物言いをするんですよね。

 「ダメです。あれは私が管理している魚ですが、部外者が干渉することはできません」
 食料生産施設で生産された食料なのに、食べるなとおっしゃる。何のための管理ロボットだ。
 しかもちーちゃんたちを「人間」という受益者ではなく「部外者」と定義することで、自身の言動への疑義を躱すテクニックまで心得ていやがる。まるで事務屋みたいなヘリクツですな。

 そうまでして彼が目の前の魚に固執する理由は何なんでしょう。
 それを、彼はこう表現します。
 「私も魚も、これでもう少し長く生きられそうです」
 壊れた建設機械によって魚の水槽が脅かされそうとしていたとき、彼は魚だけでなく自身の生存までを思っていました。
 何もかも全て自覚したうえで、彼はこの営みを続けてきたのでしょう。

 人がひとりで生きるには大きな困難が伴います。
 「君たちに会えて本当に良かったよ。作業のことだけじゃないさ。この瞬間を誰かに見てもらうことが何より重要なんだ」
 いつかのイシイの言葉。
 私たちが今この瞬間に生きていることを実感するには、自分ひとりではちょっと足りません。できればすぐ傍で誰かが自分を観測していてほしい。主観的にしか物事を観測できない私の目は機能上私の死を観測することができず、従って今私が生きているか死んでいるかを正しく見分けることができないからです。
 「生きがいだよ。めったに人に会うこともない世界じゃ他にすべきこともない。こいつを無くしたら、僕はきっと死んでしまうよ」
 いつかのカナザワの言葉。
 だからどうしてもひとりで生きるしかないのなら、自分の外側にそれを証明してくれるものを置く必要があります。カナザワであれば都市の地図。そしてこのロボットの場合であれば、飼育する魚。

 この都市に人間が暮らしていた頃なら彼はこんなことに執着することはなかったでしょう。
 彼は人間の役に立つためにつくられ、常に人間とともにあったのですから。日々の仕事はいつだって人間の役に立っているという実感を伴っていたんですから。
 彼の傍にはいつだって人間という観測者がいてくれました。
 それが、なくなってしまった。
 「都市の基盤各層に備わったそれらのインフラを可能な限り維持していくのが私たちの仕事です」
 「人間なんてもういないのに?」
 「私たちには関係ありません。ただ維持していくだけです」

 機能としては存続しつづけなければならないのに、哲学として自身の生存を証明することができない。生きているんだか死んでいるんだかわからないまま、ただ消滅するまでひたすら存在しつづける。いいえ、消滅する日すら永遠に来ないかもしれない。
 その苦痛はいったいいかほどのものでしょうか。

 終末世界にはびこる苦痛を躱すため、彼は魚に自身を観測してもらうことを選びました。

 管理ロボットの終末は、遠くないいつか、この魚が死に伏すとともに訪れることでしょう。

終末理由

 一方、同じ身の上である大きな建設機械は、ひたすら都市をつくりつづけることを生きがいとして選びました。
 都市は長く形を保ってくれるものです。ならばいつか誰かに自分が生きた証として見届けてもらえるかもしれない。遠い未来から誰かが私の生と死を観測してくれるかもしれない。そういう願いを託せば、物言わぬコンクリートだって生きがいたりえます。カナザワにとっての地図と同じ理屈ですね。
 彼はずっとそうやって生きてきました。

 けれど今日、彼に転機が訪れます。
 ちーちゃんとユー。共感対象たりえる人間の旅人が、都市を訪れたのです。
 たぶん、彼が急に全都市の破壊を企画・遂行することにしたのはそのおかげだったんじゃないかな。
 今までの自分の生きがいを全部否定するような、カナザワでいえば地図を自分の手で燃やすようなとんでもない暴挙を始めたことには、きっと彼なりの理由があったんだと思います。

 具体的に彼が何を思ったのかは描かれません。
 唯一描かれるのは彼の心象。黒いブロックノイズだらけの電気信号。
 それが、水槽の管理ロボットに計画の撤回を求められたときはどんどん激しく荒れ狂い、そのくせ自身を破壊しようとするユーを見つめたときには逆に穏やかになっていったんですよね。
 切ないな、と観ていて思いました。

 「ごめんね、デカいやつ」
 彼は破壊されることを望んでいたのではないかと思います。
 そう願うに至った理由まではわからないけれど。
 人間もすでに終末しきっていて、せっかく都市をつくっても結局誰にも見てもらえないかもしれない不安があったのか。だからそういう生きがいは捨てて、人間に自分の死を観測してもらうことを望んだ・・・とか。
 あるいは逆に、ちーちゃんたちに都市を見てもらえたことで生存理由を充足しきったのか。人類最後の飛行者となったイシイが絶望となかよくなったように。だからあとは生を終えるだけだと考えた・・・とか。
 私には想像し、共感することしかできません。私の感じ取ったものが彼にとっての正解かはわからないけれど、私は彼に共感しました。

 何にせよわかることはひとつだけ。
 自らの破壊へと望む彼の胸中は、穏やかでした。

 孤独な建設機械の終末はここに果たされました。

 「人も、機械も、魚も、都市も、生きていて、それもいつかは終わりが来るんだ」
 「生命って、終わりがあるってことなんじゃないかな」

 終末世界を旅行する死神たちの物語は続きます。
 誰にも生と死を観測してもらえず、永遠に終わりを失った、さびしい魂たちを救いながら。

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