だからなれるよ、自分が思い描くステキな姿に。
―― 侵略行為
「引き算できてえらいね」
「本を読むのが上手だね」
ちいさなころは何かにつけてよく褒めてもらえていました。幸せなひとときでした。
けれど、少し大きくなると、ちょっと前まで褒められていたことでは褒めてもらえなくなりました。以前よりもっとがんばってやっと褒めてもらえました。次の日にはもう褒めてもらえなくなりました。
ふと悟りました。――ああ、子ども扱いされてるんだな。
大人になるのってつまらないんだろうな、なんて思いました。
大人になるって、どういうことなんでしょうか。大人になると何が変わるんでしょうか。
略奪者は退屈
スクーパーズは文化を奪います。
いったい何のために? とうとう外見にツッコミを入れられてしまったエビ天が、今さらその行為の意義を説明します。
「奪うことは我々スクーパーズのアイデンティティ! 存在自体を否定するのですか!?」
「これが! この文明品こそが! 我々の生命線! この戦利品がなければ我々スクーパーズは未来永劫、目的もなく、生産性もなく、ただただ宇宙をさまよい滅びゆくだけなのですゾ!」
何のこたぁない、自分たちの存在意義を証明したかっただけなのでした。
「何のために生まれて、何のために生きるのか。答えられないまま終わる。そんなのはイヤだ!」
かの有名な『アンパンマンのマーチ』ですナ。
スクーパーズには創造力がなく、奪うことしかできません。だからひたすら奪うことで存在意義を証明するわけです。奪ったあと特に何をするでもなく。奪わなくても特にどうなるわけでもなく。奪うこと自体が目的。
それで、誰が存在意義――あなたたちのあなたたちらしさを、認識するのですか。
スクーパーズは奪ったら奪いっぱなし。奪いつくしたらとっとと次の星へと渡り歩く。そこに「他人からどう思われるか」という発想はありません。なにせ誰かに憎まれようが羨まれようが一期一会だし。
“奪う”という他人の存在ありきの行為に依存しているくせに、スクーパーズの世界観は自己の内側だけで小さく完結しています。目の前に奪った文明品の山がありさえすれば、それで「私はスクーパーズだ」と納得させられるわけです。誰を? もちろん、自分を。
存在意義の証拠たるタカラモノの山を眺められるのは、スクーパーズ自身だけでしょう。
自分がここにいることを、自分自身に納得させるため。
スクーパーズにとっての略奪行為の意義はあきれるくらい自己完結的です。
他人の目を一切気にせず、他人の目を一切必要としない。
けれど、なかにはそんな在り方に疑問を持つ子もいたようですね。
「みさ、ずっとつまらなかったんですナ」
「初めて行く星はいつもドキドキがいっぱいで、キラキラ見えたんですナ」
「でも・・・。いつも、ドキドキは長く続かなかったんですナ」
だからこその第6話、
「この指輪、お姉さんたちに上手って言われてとっても嬉しかったんですナ!」
みさはスクーパーズでありながら自分の手でつくり、他人から褒められる喜びを知るわけですが・・・。
別にこんなの、スクーパーズのなかでもみさだけの特別な感性ってわけではないでしょうよ。
「スクーパーズなら奪えばいいではありませんか!」
スクーパーズのアイデンティティが奪うことだけだと誰が決めた。
「DNAが奪えとささやかないのですか!?」
たかが核酸ごときがスクーパーズの在り方を規定すると本気で信じているとでも?
そんなわけがあるものか。
「彼らが欲するモノはただひとつ。文化です。そして創造するチカラ、つまりこの星のクリエイティビティ。それを根こそぎ奪うつもりでしょう」
奪うだけがスクーパーズのアイデンティティであるものか。
だってあなた方は奪うモノをえり好みしているじゃないですか。“奪うこと”それ自体が存在意義というなら略奪対象は何だっていいでしょうに、実際はクリエイティビティに限って固執しているじゃないですか。
他人のクリエイティビティを認め、他人のクリエイティビティを愛し、他人のクリエイティビティを欲する。
「初めて行く星はいつもドキドキがいっぱい」なのは、なにもみさだけではなかったはずなんです。彼らがクリエイティビティを目的にしている以上は。そして彼らがクリエイティビティを持たないと自認している以上は。
本当はスクーパーズみんな、まだ見ぬクリエイティビティを楽しみにして、ずうっと宇宙を旅してきたんじゃないですか?
その在り方は“奪う”と呼ぶにはふさわしくありません。その気持ちは“憧れ”というんですよ。
表現者は普遍
憧れ。
りとたちのクリエイティビティのスタート地点。
誰しもクリエイティビティは模倣から始まります。別に恥ずべきことではありません。丸パクリで満足しでもしない限りは。
だって「マネしたい!」と思うからには、それだけその対象はあなたの“大好き”にとってもよく似ているということなんですから。
「マネしたい!」と思ったとき、あなたはつまり見つけたんです。自分の“大好き”――つまり心の有り様がもし形を持って現実に姿を現したとき、それがいったいどういう姿をしているのかを。他人のクリエイティビティのなかに、自分のクリエイティビティのあるべき姿のヒントを見出したんです。
「どうしてわからないの? みさちゃんは『本当の自分に気づいた』って言ってるのよ。ただステキになりたい。その気持ちは盗んでも手に入らないものよ。・・・私にはよくわかる」
クリエイティビティは模倣から始まり、そしてやがてはオリジナルへと昇華します。
「私もステキになりたかった。ずっと胸を張って『私の絵だ!』ってみんなに言いたかった。それが私にとってステキになることだった」
結局、借りモンの言葉ではテメエを語りきれないんですよね。どれほど自分の“大好き”に近しいクリエイティビティに出会ったって、それはやっぱり他人の“大好き”でしかないわけで、どこかしかはどうしても違う。参考としては大いに役立つのだけれど。
クリエイティビティの源泉は自己表現欲求です。
「私は何者か」「私は何を見るか」「私はどう見るか」「私は何が好きか」 私の心という本来不可視のものを、誰かに見てもらえるようにこの世界に具現化する行為。それがクリエイティビティです。
その形態はりとの絵のようなアートかもしれませんし、ことこのスイーツや発明のようなもうちょっと実用寄りのクラフトかもしれませんし、あるいはまりのアイドル活動のようなパフォーミングかもしれません。
いずれにせよ他人に見てもらうことを前提とした自己表現です。クリエイティビティの源泉が自己表現欲求である以上、クリエイターは絶対にギャラリーを必要とするわけです。
ここまで復習。
さて。
どこぞのエビ天はスクーパーズの侵略行為を「アイデンティティ」と言い表しました。奪ったあとに何があるでもなく、奪わなくてもどうなるというわけでもなく、ただ奪うこと自体に自らの存在に関わる意義があるのだと。
・・・それって、自己表現欲求ですよね。
クリエイティビティの源泉。
どうして自分たちにはクリエイティビティが無いと思い込んじゃったのやら。
そりゃみさも退屈するわ。
自己表現欲求の発露なのに、肝心のギャラリーが存在しないんですから。
そりゃ憧れにも結びつくわ。
自覚していないだけで、奪うという行為が実質的には一種のパフォーミングとして機能していたんですから。
スクーパーズとは奪う者。奪ったからにはスクーパーズはここにいる。
――そんな感じの自己表現行為。きわめて素朴なクリエイティビティ。
なんてハタ迷惑な!
あー、やっとツッコめた。
憧れの侵略者
「初めから、さゆみん、いなかったの?」
「それって要するに、私たちずっと妄想の中にいたってこと?」
「そう言っているんだよね、みさちゃん」
さてモラトリアム卒業組。
少女たちはモラトリアムのなかでめいっぱい自分を傷つけ、揺らぐことない根拠不要の自信を獲得し、ついに大人になりました。
当然モラトリアムのサナギはもはや必要ありません。自分たちが支配者として君臨できる都合のいい世界を妄想と切って捨てることになるのは必然でした。
大人になるって、どういうことなんでしょうか。大人になると何が変わるんでしょうか。
これまでのりとたちがそうだったように、子どもというのは自分の内面を変革していく存在です。ありていにいえば“成長する”ということです。
私たちが子どものころ何かにつけよく褒められていたのは、成長こそが子どもの本分だったからという理屈ですね。子どもは大抵のことに関して大人ほど上手にできないかもしれませんが、そこに成長の兆しが見受けられるなら、それだけで子どもの努力には途方もない価値があるんです。
逆にいつまでも同じところで停滞するのはあまり好ましくありません。功績としてある程度価値のある行為を繰り返し行えたとしても、そこに成長が無いのなら、子どもの在り方としてはあまり褒められたものではないと考えます。
対して大人とは。
若輩の私がエラそうなことを語るのもアレですが、大人というのは外界を変革していく存在だと思っています。
大人はもう大して成長しません。スキルや知識ならともかく、精神性についてはすでに揺らがない芯を持っているので、そうそう変わることがありません。
代わりに、揺らがない強さをベースとして、子どものころには持っていなかった大きな影響力を奮うことができます。お仕事ができます。子育てができます。議論ができます。説得ができます。・・・ああ、胸が痛い。私まだどれもろくにできてないや。
クリエイターという在り方なんて最たるもの。
彼らは旧来の価値観をガン無視して、ゼロベースから新たな世界を描き出します。自分の内的表現を創作物として外界に押しつける、そりゃあもうきわめて傲慢な人種です。
どこかの誰かの未成熟な自己表現欲求に指標を与え、あるいは世界の見方をガラリと変えて、そうして彼らはたくさんの人に憧れられるんです。
外的変革者たる“大人”のなかでも他人の心に最も直接的に働きかける、いわば人の心の侵略者ですね。侵略される側にとってはこんな幸福な侵略もそうそう無いけれど。
「劇団は人さらい」なんて言葉もありましてね。農家の大切な跡継ぎがろくに収入の見込みもない俳優を目指したがるようになるものだから、昔は割と真剣に劇団の巡業というものが憎まれた時代もあったと聞きます。まあ酒の席でとある劇団の座長さんに教わったヨタ話ですが。
というか私の数少ない知り合いのなかにも声優を夢見て上京した人が4人くらいいたし、現代でもまあまあそんなものなのかも。
「私でもステキになれるって教えてくれたのは、まりとことこ。3人だったから、この町でステキになれたの。だからみさちゃんも、なれるんじゃないかな。いっしょにやっていけば」
「みさちゃんはきっとわかってる。クリエイティブの喜びを。だからなれるよ、自分が思い描くステキな姿に」
大人になりたてで、かつクリエイターたるりとたちは、さっそく目の前の世界を変革していきます。
自分にはクリエイティビティが無いと思い込んでいた宇宙人の心を侵略し、彼女の世界観にひとつの夢を種蒔きます。そういうことができるようになりました。
今まで自分のクリエイティブを褒めてくれていたお客さんが妄想だったからって、だからどうした。
弱くて柔らかだった少女時代は終わりました。今のあなたは揺らがない強さを持ち、目の前の世界を塗り替えてしまえる侵略者です。
ギャラリーがほしけりゃクリエイティブすればいい。あなたの好き勝手な横暴に憧れる誰かは、きっといる。あなたがクリエイターでありつづける限り。
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