HUGっと!プリキュア 第19話感想 パワーハート、あなたをHUGする私というもの。

自分を、愛する・・・。

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(主観的)あらすじ

 アンリのツテでファッションショー出演のオファーを受けました。はなではなく、えみるとルールーが。えみるはいつもの調子で不安がりますが、ルールーが大丈夫だと背中を押して、ふたりで挑戦してみることになりました。
 ファッションショーのコンセプトは「女の子もヒーローになれる!」。性別やいろんな制約から解き放たれて、誰でも自由に活躍しようというショーです。逆に女の子には女の子らしくあってほしいと考えるえみるのお兄さんはそれに納得できません。えみるを連れ帰ろうとしてしまいます。
 えみるのお兄さんのことはアンリが止めてくれました。アンリは一切の先入観を無視してゴーイングマイウェイを突き進む気質の持ち主でした。けれど、そのせいでえみるのお兄さんがオシマイダーになってしまったことに気づいて、アンリは少しだけ考え方を改めます。
 アンリが自分の信念に基づいて自由に生きるつもりでいるのは変わりません。けれど、正反対の信念を持つえみるのお兄さんにもまた、そんな自分を愛してほしいと願うのです。トゲパワワから解き放たれたえみるのお兄さんはおぼろげに残るその記憶を最悪だと言い捨てますが、同時にきれいだったとも述懐するのでした。
 「女の子もヒーローになれる!」 ショーを大成功に終わらせたえみるは、自由な心で改めて思います。ルールーとふたりでプリキュアになるためがんばろう、と。

 ジェンダーバリアの話題って近年過熱しすぎてて逆に語りにくいのよね。賛同するにしても反対するにしても余計なヘイトのレッテルがついて回りがちで。もっとも、引きこもり気質の私には気にすべき人目がないので、今のところ割と好き勝手語れているのですが。
 なのでその分そっち方面にはあんまりフラストレーションがなくて、個人的にはむしろ「言葉は正しく使わなきゃ」という発言の方がイラッとくるんですけどね。というわけで今話の感想はこっちからはじめますか。

「ヒーロー」

 「『女の子もヒーローになれる!』。おかしいよね。『ヒーロー』って男のための言葉だよ。女の子は守られる側だろ。言葉は正しく使わなきゃ」
 えみるのお兄さんの思想は基本的にめっちゃ古くさく感じられるようデザインされているので、鵜呑みにする必要は全くないのですが。

 「hero」とは“男性主人公”のことであり、「heroine」という言葉はただそれに女性形名詞語尾をくっつけただけのものです。あくまで“女性主人公”という意味でしかありません。
 それぞれの原義には本来守る側、守られる側といったニュアンスはありませんでした。時代を経るにつれて「hero」の側にだけ“英雄”とか“偉人”といったイメージが付加されることになりましたが、それは単に神話を含めた世の物語に男性主人公ものが多かっただけの話です。(そうなった社会的背景にジェンダーバリアがあったとかそういう話題はさておき)

 「言葉は正しく使わなきゃ」
 では、えみるのことは「ヒロイン」と呼ぶのが正しいのでしょうか。
 いいえ。
 えみるがなりたいものはただの主人公ではなく、誰かを守ることのできる強い人、英雄的な活躍ができる人、プリキュアです。えみるのお兄さんが咎めているのもそういう要素ですよね。
 それは「hero」という言葉に後付けで付加されたイメージです。ただの“主人公”ではない“英雄”です。男性形の「hero」にはあって女性形の「heroine」にはないもの。
 だから、えみるのなりたいものを「ヒロイン」と呼ぶのも実は適切ではないんですよね。

 言葉は生きているんです。だって、それを使う私たち人間が生きているんですから。
 言葉は日々刻々と変わるものなんです。だって、それを使う私たちが日々刻々と変わっていくんですから。
 近年、女性に対しても「hero」という言葉をあてることが普通になってきました。ただの“女性主人公”を指すときは今も「heroine」ですが、“英雄的な女性”“女性の偉人”を指すときは「hero」なんです。言葉のイメージとして「heroine」にはそちらの意味合いが付加されていませんから。
 現代において“英雄”とは「hero」なんです。男女の別なく。だから今話のような場面においては、えみるがなりたいものは「ヒーロー」で間違っていません。
 まして、「ヒーロー」が男のための言葉ということはありません。「ヒーロー」が男だけの役割であるなんてことは断じてありません。この場合の「ヒーロー」とは、“男性主人公”という本来の語義から離れて、あくまで純粋に“英雄”を指すものでしかないんですから。そこに“英雄”を性別で区別しようという意図は一切込められていません。

 このあたり、なんとなーくセーラームーンやプリキュアといった女の子向けヒーローを生み出した日本だけの独自文化なのかなと思いがちではあるんですが、実は欧米文化圏でも同じなんです。海の向こうでも女性のヒーローがたくさん活躍しているのは知っているでしょう?

 言葉は生きているんです。
 もしあなたが「言葉は正しく使われるべきだ」と考えるなら、まずは自分のなかの語彙が現代における言葉の使い方と正しくマッチングしているかを内省してから、改めて検証してみた方が良いでしょう。
 生きた言葉づかいなんて、大抵若い人の方がずっと器用に使いこなしてる。

二極の思想

 「若宮くん。いつも注意してるけど、制服、きちんとネクタイ結びなよ。女子みたいだよ、君の格好。男子のなかで浮いているのが心配なんだ」
 えみるのお兄さんの言動に問題が多いことはわかります。一応、彼なりに本気で相手を気づかっているのはわかるんですけどね。

 「話してもわからない人たちを説得するのは時間のムダ」
 けれどその一方で、では彼と対照的な人物として描かれるアンリの方は正しいことばかり言っているのかというと、そんなことはなくて。

 せっかくアンリの学校での立場を案じて服装を注意してあげたのに、聞き入れてもらえなかった。
 せっかく妹のあるべき生き方を考えて「ヒーロー」を否定してあげたのに、逆に拒絶されてしまった。
 せっかくアンリのおかしい服装を指摘してあげたのに、むしろ自分の価値観の方を否定されてしまった。

 えみるのお兄さんの考え方はあからさまに良くないですが、それはそれとして、彼だって傷つきます。悔しくなります。悲しくなります。
 「自分で自分の心に制約をかける。それこそ時間――人生のムダ」
 まして、こんなキッツイ言葉で価値観の根底から否定されてしまえば、そりゃあね。
 心にトゲパワワも溜まっていくというものです。

 自分を根こそぎ否定されてしまって、だったらどうすればいいというのでしょう。
 自分と正反対なアイツとそっくり同じ価値観を持てばいい?
 まさか。そんなことできません。現在は過去と連続しています。
 えみるのお兄さんが今こういう価値観を持っているのは、彼のこれまで生きてきた道程に、そう考えるようになるだけの理由があったからです。
 アンリが今正反対の考えかたをしているのは、アンリのこれまで生きてきた道程が、えみるのお兄さんのものとは全然違っていたからです。
 えみるのお兄さんが明日からいきなりアンリと同じ考えかたになるなんてことは不可能です。

 なんでもできる、なんでもなれる。そうはいいますが、それは今じゃない。
 今じゃないなら、じゃあ、今はどうすればいい?
 今、どうすれば、こんな自分でも、望ましい未来の自分になれる?

 キツイんですよ、アンリという人は。
 だから初登場の第8話なんかでは憎まれ役になってしまいました。言っていることは全然間違ってなくて、ひとつの正論ではあったはずなのに。
 正論ではあったけれど、自分の正しさを信じきっていて、他の考え方もありうる多様性を認めていなかったから、彼の“正論”はほまれに受け入れてもらえませんでした。
 思想的にはジェンダーフリーをはじめとして、むしろ多様性を愛する人物のはずなんですけどね。
 “それこそが正しい”という絶対の自信が逆に彼の考え方を凝り固まらせ、それに反する人物にはついついナイフのような言葉を投げつけてしまいます。
 「あはははは! ごめん。君って――無責任だね」(第8話)

 「話してもわからない人たちを説得するのは時間のムダ」
 全体主義者の悪いところを煮詰めたようなのがえみるのお兄さんならば、アンリは個人主義者の悪癖を煮詰めたようなところがある、これはこれで困った人物です。

共存

 プリキュアの歴史のなかにおいて個人主義思想の最右翼であった、Go!プリンセスプリキュア。
 自分の夢にひたむきだった彼女たちは、夢を諦めようとする人に対しては驚くほど辛辣でした。
 「そうだね。カッコ悪い。今のゆうきくん、カッコ悪い!」(第27話)
 「そりゃあ、ホントは観る側じゃないからね。きららちゃんは」(第43話)
 けれどそのくせ、彼女たちの戦いは自分だけじゃないみんなの夢を絶望から守るためのものだったんですよね。
 「なれるさ。君なら、プリンセスに。――きっと、僕に新しい夢ができたから。はるか。君が笑顔でいられるように、僕は君の夢を守りたい」(第39話)
 なぜなら、彼女たちの追いかけた夢はごく個人的なものでありながら、夢見る人々それぞれがお互いの夢を応援しあい、支えあって育んできたものだったからです。自分以外の夢を守る行為も彼女たち自身の夢を育むことにつながっていたんですよね。

 「あ! はぐたん、ダメです!」
 「ダメダメ! ストップ!」
 「ダメじゃない。いいよ、はぐたん」
 「お花みたいだね」
 「カラフルでキレイだ」
 「よーし、私たちも!」

 はぐたんの粗相も、見かたを変えればスタンピングアート。
 ひとつの考え方に凝り固まっていたら見えない景色があります。たとえば天使や花のイメージを取り入れたフィギュアスケートは、多様性のステキさに気づけたほまれだからこそできた発想でした。自分の考えに自信を持つことは大切なことです。けれど、それで他の可能性を排斥してしまってはもったいない。
 この世界にはたくさんの人が生きています。ときに仲よくなり、ときにぶつかりあうことがあります。でも、前者ばかりがステキなことで、後者は悲しいばかりだとは限りません。それは見かたを変えれば、新しい発想との出会いという考えかたにもつながるのですから。

 たとえば前作キラキラプリキュアアラモードの最終決戦がそうでした。
 「エリシオのキラキラルも一緒にまぜまぜするペコ!」
 「キラキラキラルン・キラキラル! アニマルプラネットスイーツできあがり!」
(第48話)
 プリキュアと思想的に対立していたエリシオですら、この世界を構成しているかけがえのない個性のひとつでした。

 「そうか。君も苦しいのか・・・」
 本来は多様性を愛する性質のアンリがまず気づきます。
 「ごめんね。けど、僕は君のために僕を変えることはできない。誰に何を言われたって構わない。僕の人生は僕のものだ。僕は僕の心を大切にする。だって、これが僕、若宮アンリだから」
 彼らに求められているのは多様性です。自分を否定して、他の誰かに変わることではありません。そもそもそんなことはできませんし、望みません。だから、まずは自分を全力で肯定します。
 「だから、君も君の心をもっと、愛して」
 そのうえで、自分とは違う誰かのこともまた、全力で肯定します。たとえ自分と違う相手、理解できない考えかたであったとしても、彼が自分の傍にいることは、自分にとっても決して無意味じゃない。

 続いて、えみるのお兄さんも気づきます。
 「夢を見たんだ」
 「ええ夢やったみたいやな」
 「最悪だよ」

 アンリとは依って立つ思想が全然違うので、捉えかたもどうしても少し違うのだけれど。
 「けど、キレイだったな・・・」
 でも、少なくとも彼は笑顔になりました。どうやらこの気づきは彼にとっても好ましいものだったようです。

 誰かに自分を根こそぎ否定されてしまったらどうすればいいでしょう。
 まずは、それでも自分を好きになることです。
 そのうえで、自分とは違う考えかたもあることを受け入れるんです。
 自分と他人。自分とみんな。あなたが、あなたらしいままに、多様性豊かなこの世界と共存しようとがんばれば。いつか、きっと。

 ふたつの正反対な思想の共存ははじまったばかり。この気づきがこれからの未来に何を生み出していくのか、そのあたりは、まあ、今後の彼らの物語で描かれることでしょう。(物語として描かれる予定があるかどうかは知らないけれど)

未来を信じるために

 「プリキュアはアンビリーバボーなヒーローだもの! トゲトゲした気分が大暴れしたあとのようにスッキリ! ワンダホー!」
 イマイチよくわからないキャラだった吉見リタが2回もオシマイダーになっていたのは、このことを描くためだったんですね。
 傷つくことを怖れて時間を止めてしまったクライアス社と未来の人々。けれどその反対に、傷つくことにも、好ましくない事象にも、あなたにとってちゃんとステキな意味があるんだよと言ってやるために。「ムダな時間なんてない」と言ってやるために。

 そんな感じで今話の感想として書くべきところはおしまいです。
 ことさらに未来を怖れていた心配性のえみるも、今回の出来事を通して自分がプリキュアになる明るい未来を改めて強く夢見るようになりました。
 めでたし、めでたし。

 ただ、次話に向けて気になることがひとつだけ。

 「えみる。私は“えみると一緒だから”チャレンジしようと思ったんです」
 「私は“えみるを”応援すると決めました。私は信じています。“えみるは”なんでもできる、なんでもなれる」
 「きっと“あなたは”プリキュアにもなれます」
 それで、ルールーは?
 ルールーはプリキュアになるための、あるいは他の何かをするための、“自分にとっての”理由を持っていますか?
 「私はえみるを応援する。“えみるに”プリキュアになってほしいから。それが私にできること」

 「フレフレえみる」
 彼女の応援ははながいつもしているものと同じようにみえて、少し違う気がします。
 はなはまず自分になりたいものがあって、自分がなれると信じているから、他のみんなもなれると信じてあげられるんです。
 けれど、ルールーは・・・えみるの未来以外に叶えたいものを、はたして持っているのでしょうか?
 前話の時点では彼女も自分の心を認めてハッピーエンドかと思っていましたが、改めて見返してみれば、えみると手をつないで以降のルールーの言葉は、すべてえみるに向けられたものばかりなんですよね。

 「自分を、愛する・・・」
 もしそうなのであれば、足りません。
 今話で描かれ、えみるの心を強くした物語は、自分を愛しながら自分と異なる他人の心をも愛する物語です。「男の子もお姫さまになれる!」ことを前提とした「女の子もヒーローになれる!」なんです。
 「女の子もヒーローになれる!」をコンセプトとしたファッションショーにおいて、ルールーに与えられた衣装はメイド服をモチーフにしたものでした。メイド。侍従。主人のために尽くす女性像。本来であればヒーローたりえない裏方。
 けれど、吉見リタ先生はそのモチーフを、ランウェイの上でヒーローになれるよう、パステルトーンいっぱい、フリルいっぱいに、華やかにリデザインしたんです。「女の子もヒーローになれる!」と、願いを込めて。
 それがいかに大切なことか、どうか気づいてくれればいいのだけれど。

 「い、いやあ、プリハートが・・・残り1個しかあらへん・・・」
 えみるの望む“ふたりで”プリキュアになる夢が本当に叶うかどうかは、ルールーにかかっています。

 「いっしょ! えみる! るー!」

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