私、これからももっと描いてみたい。エルちゃんや誰かの心に届くような絵本を。
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「ましろの夢 最初の一歩」
大きな出来事1
メインキャラクター:ましろ
目標
夢中になれるものを見つける。
課題
Pritty Holicの店員さんにセンスを褒められたましろは絵本づくりに挑戦することにした。しかしアイディア出しの時点で既存の物語の模倣しか思い浮かばず、絵本づくりは難航。ましろは自分のセンスを疑ってしまう。
解決
ワガママを言って聞きわけないエルちゃんにどう気持ちを伝えればいいか考えるうち、ましろは絵本の読み聞かせを思いつく。そのための絵本を描こうと思ったらあとは寝食を忘れて絵本づくりに取り組むことができた。
完成した絵本はコンテストの入賞こそ逃したものの、ましろらしい世界観が篭もっていて、Pritty Holicの店員さんに改めて褒めてもらえた。エルちゃんも絵本を気に入り、ましろが伝えたかった優しい気持ちをわかってもらえたようだ。
大きな出来事2
メインキャラクター:ソラ
目標
誰かのためになる働きかけをする。
課題
ましろやシャララ隊長の深く相手の気持ちを慮る姿勢を見てきたソラは、常々自分の考えの浅さを気にしていた。
今日もましろならできると思って彼女に絵本づくりを勧めてみたが、そのせいで彼女は重い生みの苦しみを味わっているようだ。また考えなしだったかもしれないとソラは思い悩む。
解決
ましろは絵本づくりに苦労していたが、同時に心の底から楽しそうで、夢中になって取り組んでいた。どうやら絵本づくりを勧めたことは間違いではなかったようだ。
ましろは優しすぎて、彼女に任せていると絵本コンテスト応募の締め切りよりバッタモンダーへの応戦を優先してしまうが、それはきっと彼女のためにならない。ソラはましろ本人以上にましろのことを思いやり、簡単にコンテスト応募を諦めようとしてしまう彼女の背中を押すことができた。
バトル
苦戦
赤いランプがつくと敵味方とも動きが止まってしまう信号機型ランボーグが相手。遅延戦術により、ましろの絵本を応募するための受付締切が刻一刻と迫ってしまう。
勝利
ソラの強い後押しにより、ましろを途中で戦線離脱させることができた。
本来交通安全を守るためにある信号機を暴れるために悪用するランボーグはましろ以外の3人で力を合わせて撃退した。
ピックアップ
菜摘さん
Pritty Holicの店員さん。
Fサイズ50号はあろうかという大きな絵に一瞬で主題となるべき人魚を加筆する、恐るべき速筆家。
たまにいるよね、月産100枚とか平気で描けるくせにネタ出しだけやたら苦手にしている人。
ハードカバー製本
こういう市のコンクールレベルだとバラ原稿か製本テープで背だけ綴じた作品が展示されるイメージだったが、ましろはどうやらハードカバーできっちり製本したらしい。さすがの凝り性。
ちなみに製本キットが1500円くらいで市販されているため、1冊だけならハンドメイド自体はそう難しくない。
創作活動というのは基本的に自己満足の世界ですが、それでいて見てくれる観客の存在もまた絶対に必要なものでもあります。
なぜなら創作とは”表現”だからです。自分の心のなかにある思いを具現化して、外部出力する行為。
心のなかにあるものは、自分ひとりが楽しむだけなら「思う」だけでも割と楽しめちゃうんです。いわゆる妄想ですね。わざわざ手間暇かけて外部出力する必要はありません。
それをあえて外部出力しているわけですから、創作家というのは結局のところ、大なり小なり自分のなかにある思いを誰かに見てほしくて活動しているわけなんです。自分の心を他人様にさらけ出したくてしかたないから、こんな面倒くさいだけのことでも楽しく続けられているんです。
私もそうです。そもそもアニメ感想文が創作活動といえるのかは人それぞれ思うところがあるでしょうが、とりあえず誰かに見てほしいから1記事6時間とかかけて毎週文章を絞り出しているのは間違いない事実です。感想をもらえたり、PVが増えたりすると小躍りするくらいモチベーションが上がります。お返事遅れ気味なのはごめんなさい。
ましろが絵本づくりの最初のアイディア出しでつまずいていたのは、つまるところそういう部分に問題がありました。誰に見てほしいのか、どういう人を喜ばせたいのかの意識をましろなりに自覚できていなかったんです。
創作の本質は自分以外の誰かとのコミュニケーションにあります。ましろの場合、そのモチベーションは優しさでした。とにかく誰かに喜んでほしい。そのためならいくらでもがんばれちゃう。ましろはそういう子です。
だから、エルちゃんのために気持ちを伝えたい、たったそれだけの思いが生まれただけで、あふれんばかりのやる気がみなぎってくるわけですね。
誰に、何を伝えたいのかな
「はあ。やっぱり無理かも。ストーリーなんて全然浮かんでこないし、絵だってあんなにきれいに描けないし、そもそも私にセンスなんて――」
不思議なことに、どんなに意欲あふれる創作家でも何を描けばいいのかわからなくなって、机の前でウンウン唸っているだけで一日が終わってしまうことはよくある話です。
ぶっちゃけ何を描くのか、なんてことは創作においてそれほどこだわるようなものでもないんです。
だって創作意欲のうち最も根源的な感情は「表現したい」。心のなかに何かかたちにしてみたい思いがあるからこそ、創作してみたいと思えるわけですから。ストーリーや絵はその容れ物です。心のなかからあふれ出す思いを具象化するためのツールでしかありません。
ま、容れ物がなかったら吐き出すこともできないわけで、自分で満足できる技術やアイディアが伴わない創作家は、死にたくなるほどの欲求不満で日々悶々と過ごすしかなくなっちゃうんですが。
「・・・いつの間にかなりたいものとか決まってないとダメなターン!? でも、改めて考えれば私これといって得意なことないし。そんな人間が何かになれるの? 疑問だよー!」(第4話)
自己表現というなら将来の仕事選びにもつながる話でもありまして、そういう意味でましろはずっとこういうことに悩みつづけていたということもできますね。
今話はそういうお話です。ましろはこれまでストーリーや絵を練習してきたことがありませんでした。ズブの素人です。絵本作家になるなんて夢、これまで考えたこともありません。
そんな人にとっての初めての創作活動。当然、技術や才能の有無なんて問われるはずもなく、今回は純粋に「どうして創作するのか?」だけが問われることになります。
「あ! これ新作だね。夏のキラキラ太陽に負けないくらい元気になれそう」
Pritty Holicの店員さんにはそんな何気ないつぶやきからセンスを見出されました。
これもまたストーリーや絵を描く才能には全然関係ありません。いわゆる感性。今、目の前にあるものを、自分にとって意味あるかたちとして受けとめる技術。ましろはそういった部分に惚れられました。
あるいは、心に湧きあがった思いを艶々した言葉でドレスアップさせる技術でもあるでしょうか。このときましろに創作行為をした自覚はなかったでしょうが、日常会話こそはこの世で一番素朴な表現行為。誰かに自分の思いを共感してほしくて発した言葉ならば、そこには間違いなく創作意図と技巧が存在します。
ましろはどうしてこのとき「夏のキラキラ太陽に負けないくらい元気になれそう」だなんて飾った言葉選びをしたんでしょうか?
それはほら、ソラにも自分がリップを見て感じたこのワクワク感を、同じように感じてほしかったからじゃないですか。
ただ「きれいな色だね」「好きな色だな」ってだけのシンプルな言葉づかいでは今の自分の気持ちを伝えきれないと思ったから、思いつく限り一番ステキな言葉で飾りたくなったんじゃないですか。
それが”表現”で、それが”創作”です。
さっきから延々繰り返し同じことばかり語っていますが、だから創作活動の本質とは誰かに思いを伝えたいという欲求にあるといえるわけです。
「私が先走って、ましろさんを困らせてしまったみたいですね・・・」
「ううん。褒めてもらえて嬉しかったし。――でも、みんなみたいに『これをやりたい』って気持ちになれなくて」
筆が止まってしまうのは、だからそこに原因がありました。
そもそも何かを表現したくて筆を執ったわけじゃなかったから。
伝えたい相手も、伝えたい思いも見つからないのなら、創作意欲なんて最初から湧くはずがなかったのでした。
友達は自分じゃない、けれど
「私が先走って、ましろさんを困らせてしまったみたいですね・・・」
「ううん。褒めてもらえて嬉しかったし。――でも、みんなみたいに『これをやりたい』って気持ちになれなくて」
ましろが初めて取り組む創作活動の難しさに悩んでいる隣で、ソラも別のことに悩んでいました。
「あの。ましろさんがましろさんのままでいいと思う気持ちは今も変わりません。だから、気にしないでください」
友達のことに無闇に干渉するべきではない、という意識はましろと出会う前から持っていました。
ましろがプリキュアになったときなんて、自分が持ち込んだ厄介ごとのために彼女を傷つけたくなくて、一緒に戦うことを拒絶したことすらありました。結局はましろ自身が望んでソラの助けになりたいんだという思いに押されて認めることになりましたが・・・。
「ただ、覚えていてほしいんだ。『正しいことを最後までやりぬく。それがヒーロー』。ソラ。君の言うとおりだ。でも、だからこそ、“正しい”とは何なのかヒーローは考えつづけなければいけない」(第14話)
人生の師は、自分にとって正しいことが他の誰かにとっても同じく正しいとは限らないんだと教えてくれました。ソラもそのとおりだと思いました。
だけど、だからこそ悩むのです。
友達のことに、あくまでも他人でしかない自分がどこまで干渉していいものなのか。
ソラはましろのことが好きでした。
その優しさが。よく気がつく思いやりが。そして凜とした強さが。
そういう、今のましろらしさがあるからこそ、ソラはましろのことが大好きなのでした。
「私、本当にやるのかなあ」
「ましろさんがつくってくれたくもパン、感動しました! 菜摘さんが言うようにましろさんにはセンスというものがあるんだと思います。私、ましろさんが描く絵本を見てみたいと思って。すみません! 私の勝手な希望です」
ソラのなかでは絵本づくりに挑戦するのがましろらしいことだと感じられていました。ジャンルは違えどくもパンのときと同じ延長線上にあることだと受けとめました。だからこそ背中を押しました。
だけど、ましろが悩んでいる姿を見るにつれて、だんだん不安になってくるのです。
もしかしたら本当は、ましろが絵本づくりに挑戦するのは自然なことじゃなかったのかもしれない。無理をさせているのかもしれない。実は絵本づくりなんて全然ましろらしくないことだったのかもしれない。
ソラが思うましろらしさと、ましろ自身が思うましろらしさはきっと異なるはずです。だからソラが思うましろらしさをましろに押しつけるべきではありません。それは正しいことではありません。
ましろからましろらしさが失われてしまうことはソラにとっても嫌なことでした。
よく考えないで背中を押してしまったことに、ひどく後悔がつのります。
「ましろさん、無理しているのでは・・・?」
エルちゃんに気持ちを伝えるための絵本
「まだまだ未熟です。私はエルちゃんを叱るばかりでしたが、ましろさんはエルちゃんに優しい気持ちを伝えていて――。すごいです」
「そんなことないよ。結局エルちゃんにはわかってもらえなかったし。どうしたらよかったのかな・・・」
それは結局のところ、コミュニケーションの問題でした。
ストーリーや絵、創作活動というもののひとつの利点は、直接的な言葉だけでは伝わらない、深くて豊かな思いを相手に伝えられるところにあります。
Pritty Holicで見た絵画もそうでした。一見新作コスメと関係なさそうな海底の風景。だけど美しいところ、憧れを感じられるところは、ましろがPritty Holicのコスメに抱くイメージと一致していました。ここにはきっと美しい人魚が住んでいるに違いない。新作コスメはみんなを、きっとこの美しい海底が似合う美人に変えてくれるに違いない。
創作物というものにはそういう複雑なイメージを伝えてくれる力がありました。
言葉で言って伝わらない思いも、別のやりかたなら伝えられるかもしれない。
だから絵本を描くんだ、と。
「ありがとう、ソラちゃん。なんかね、すっごく楽しいの」
伝えたい人が見つかって、伝えたい思いが見つかって、そうなってしまえばあとはあっという間でした。
だってそれはいつもましろがやっていたことですから。
ましろは優しい子です。それでいて強い。誰かのためならどこまでも頑固に、思いやりを伝えられるまで絶対に諦めない意固地さがある子です。
言葉で伝わらないなら絵本で伝えたらいい。要はたったそれだけの話で、そういうことならましろは初めての絵本づくりでも夢中になって取り組むことができました。いつものように。
「ましろんさんの絵本もすごくステキだった。私もいつか、あんなふうに優しい世界が描けるようになりたいな」
だから、できあがった絵本はとても雄弁なものになりました。
エルちゃんに伝えるべき教訓だけでなく、ましろが普段感じている思い、考えかたに受けとめかた、目の前に広がる優しい世界のありよう、いわゆる世界観というものがそのまま全部表現された作品に仕上がりました。
「コンテストには落選しちゃったけど。私、これからももっと描いてみたい。エルちゃんや誰かの心に届くような絵本を」
伝えたい相手に伝えたいことを伝えられる喜び。
ある種のコミュニケーションツールとしての絵本のありかた。
創作するということがこんなにも自分らしいありかたにマッチしていたんだってこと、ましろはこのとき初めて知ることになったのでした。
友達の役に立てた喜び
「ありがとう、ソラちゃん。なんかね、すっごく楽しいの」
たった一言聞けただけで世界が180度ひっくり返って見える言葉というものがあります。
ましろに迷惑な干渉をしてしまったかもしれない。そう思っていたソラにとって、ましろから感謝の言葉をもらえたことは青天の霹靂でした。
ソラが思うましろらしさと、ましろ自身が思うましろらしさはきっと異なるはずです。だからソラが思うましろらしさをましろに押しつけるべきではありません。
だけど、もしソラが思うましろらしさとましろ自身が思うましろらしさが一致していたとしたら。そのときは。
ましろがこんなにも絵本づくりを楽しいと感じるだなんて、当のましろすら予想していなかったことでした。ましろひとりならこんなこと挑戦してみようとさえ思わなかったでしょう。
この喜びに出会えたのは、ましろ自身よりもましろを理解してくれて、ましろのために背中を押してくれたソラのおかげ。
シャララ隊長が残した言葉はソラにとって必ずしも良い影響ばかり与えたものではありませんでした。
ソラは元々気にしいです。友達との距離感を掴むのが苦手で、快活で社交的な割には友達の問題に干渉することをひどく嫌います。
あのときベリィベリーに迂闊なことを言って彼女を傷つけてしまったのはたしかに失敗でした。ですが、その経験を理由に自分と自分以外とで信じる正しさが違う、価値観が違うからと、自分以外の事情に踏み込むこと自体を恐れてしまうのもそれはそれで間違っています。
ソラは判断を誤ったのではなく、ただ、自分が思うましろらしさというものを信じきれていなかっただけなのでした。
「このままじゃ絵本の締切に間に合いません!」
「それはいいの。それよりランボーグが――」
「よくありません! プリズム! 次に青に変わったら構わず行ってください!」
ましろという子は周りの人への思いやり最優先なせいで、自分に対する認識が間違いだらけな子でもあります。自分にとって本当に大切なことを案外よく見逃しています。
そんなとき、ましろ以上にましろのことを気にかける人がいてくれたなら。
「嫌がらせばかりするあなたのような人には、ヒーローはけっして負けないんです!」
正しさは時と場合によって変化するとはいうけれど、それはイコール自分の思う正しさが必ず他の人にとっての正しさとは異なるという意味ではなく。
自分にとっての正しさが、それを向ける相手にとっても正しいということは両立しうるのでした。
ソラも知っているはずです。ましろが貫きとおす、頑固なまでに強い優しさは、それを受ける人にとってもやはり優しさであることを。
コメント
ただ紙と睨めっこして創作できたら、世の漫画家さんとかは苦労しませんw
イラスト系のコンテストは何回か応募する側で経験してますが、菜摘さんみたいに空白を全部埋め尽くす勢いの描き込み量はやはり目を惹きつけやすい=入賞率が上がると聞きます。
一方で、子供向けの界隈だと時にはシンプルな作品が好まれたり……つくづくその辺難しいなと。
本編途中でエルちゃんがおもちゃを独り占めしちゃう&ソラたちが叱ろうとして結局上手く伝わらず悩む筋書きになったのも、受け手の心を理解する必要性という意味では創作活動に通ずると思いました。
今回は絵本という特性もあり、ましろんみたいにメッセージ一直線で描くのもひとつの手でしょう。
そのためにはまず、周りに対するアンテナを張ることが大事なわけで。
そう考えると、日々ヒーロー手帳という形で物事をインプット&アウトプットし続けるソラが、本格的に絵本を描いたらどうなるかもぜひ見たかったなーと思いますね。
美術系とか音楽系のプロフェッショナルはわかりませんが、たいていの創作活動は社会経験が資本だってよくいいますよね。学生時代に会ったプロの俳優さんも「本気で演劇をやりたいなら専門学校ではなく大学に行け」って言ってました。
児童向けのコンテストはどうしても教育的観点が入り込みますから、大人のコンテストとか評価基準が変わってくるそうですね。技巧的に早熟な作品より、のびのびした感性剥き出しの作品が好まれがちなのはそういうことです。
まあ、出展する子ども側もそういう大人の浅はかな選考基準はよく理解していて、“技巧で”“意図的に”素朴そうに見える作品を描いてきたりするわけですが。
今日は公式サイトでいう取り巻く人々のゲストキャラが菜摘さんとキュアアイドルギャンブラーと同じ下の名前の現役女子大生(美術大)でましろも絵本を描き上げることに挑戦した話でした
私は本編を視ている時、なつみさんの漢字が菜摘でキュアアイドルギャンブラーと初めて同じ名前の女子キャラが女児向けプリキュアにも遂に登場したという感覚になりました!!☆☆♬
それでもアニメ本編を視ている時は感無量という感じがしませんでしたが(苦笑)
それでもあやかさんならGo!プリンセスのみなみ(キュアマーメイド)の小学校の時以前から友達同級生として登場したのも事実でした!!☆☆♬<西峰 あやか
ちなみに今日登場した菜摘さんの美術大の(歴代の)先輩の中には舞(キュアイーグレット)がいるとなると、最長で7時30分から始まって10時までに終わるニチアサ的に感慨深いと言えるパターンなのです!!☆☆♬
2007年から2008年にかけてのレンジャー系の主要レディの娘が大学を卒業すると、同(オナ)大の後輩に2020年から2021年にかけてのレンジャー系・キラメイジャーのキラメイグリーンがいるというパターンもありますから!!♪
こういう話は岡山龍谷がある地域の今現在は一二を争う居住区の後輩同僚(高校時代は最年少のいとこのお母様になり続けるお母様の妹と同高の同級生で、大学時代は大阪桐蔭の野球部の監督が同い年の学生)に対してよく話を持ち掛けるものです
一方で、今回は菜摘さんの同じ美術大の先輩の中に舞がいて欲しいというパターンは、キュアコンプリートに感想を書いて掲載されてもらえた時に書き込んだこともあるし、きっかけはレンジャー系でした!!
で、私のお母様は2回以上面白いと口にするなどしたものです
一方で、今日は信号機型のランボーグで、信号機型のプリキュアのやられ役は私が知る限りでは、丸10年ぶりとなる感慨深さのはずですね
私が小4以下の時のレンジャー系にも信号機型である一話完結型のやられ役も登場して、その時のレンジャー系の一話完結型のやられ役にルックスはなんとなく良く似てるように感じたものです
ちなみに今日の取り巻く人々である菜摘さんはいとこのお姉さんの息子と同い年の女の子に名付けられた名前のトップ10には入ることはなかったですね!!
つまり菜摘さんは平成時代が1/3の時に生まれた女の子にすごく良く名付けられたシックリ来る名前と言えます
キュアアイドルギャンブラーがチャンピオンの漫画の中で生まれ育った時も平成時代が物語終了時点より10年後ぐらいが平成時代の終点で、そっから換算して実質平成時代が1/3の時だったのも事実だと、これはギャンブルフィッシュというチャンピオンの漫画の4巻を見ると1番良く分かります
一方でキュアアイドルギャンブラーはチャンピオンの漫画の中で生まれ育った女子キャラということで、プリキュアにしてみたいと思ったし、私はインターネット上にアップもしていますが、専ら“趣味”の範囲でやっていることなので、今でも削除もされずに残り続けていますよ!!☆☆♬
その一方で、今頃の大学生は中卒直後から3年制の高校もストレートで卒業した直後の学生は全員今では21世紀生まれですし、今回の菜摘さんも21世紀生まれで間違いないでしょう
顔はどこをどう見てもキュアアイドルギャンブラーとは似ても似つきませんが、やっと総合プリキュア的に感慨深さが初めて実現したものでもあります
で、今日のプリキュアは最後の最後までシックリ着たセリフは見当たりませんでしたが、第21話以降ではまた新たにシックリ着たセリフ=感慨深いセリフがあるものだと期待値を注いで、これからは当面の間最年少の姪っ子が毎週毎週楽しみに観続けるものだと信じ込みながら、フェアな意味でプリキュアファンを続けたいです
>で、今日もプリキュアとは完全に無関係なことで言いたい雑談はあり
おかやま山陽高校がある地域の1番近くでは私が知る限りで、岡山市南区にある七(ヒチ)福というPontaドリルのアンケートにも出る焼き肉屋に初めて行きました
決して旨味は感じませんでしたが、大で注文したライスはまぁまぁ良い感じに仕上がっている感じがして、主役の肉もいくらでも食べたくなるような不思議なスパイスが効いていましたね!!☆☆♬
だから岡山市南区の七福という焼き肉屋では2回目に行った時に、旨味も初めて感じられるようになっていた場合は、ますます3回目を行きたくなる焼き肉屋でした!!☆☆♬
増してやソフトバンクではスマホ払いも出来るPay Payでも払えるのでなおさらです
>追伸
今ちょっぴり思い出しましたが、キュアバタフライのバイト先の先輩に菜摘さんが登場し、あげはを何故キュアフラミンゴと間違えてしまったかというと、滝沢 あすかがキュアフラミンゴで、下の名前が「あ」の付く3文字なので、私はそれで間違えてしまったと言っても過言ではないですね!!(冷や汗→自分に喝!!)
脱字があったのに気づいたので、訂正します
最年少のいとこの姪っ子が当面の間、プリキュアを毎週毎週楽しみに視るものだと信じ込んでいるものなのでということなのです
私には未だに姪っ子はむろん、甥っ子もいないのに脱字を発生させてしまって、申し訳ないです
その代わり、お母様の妹の息子には最年少のいとこも含めて、当然姪っ子がいますよ!!☆☆♬
もう一人は弟と同い年の従兄弟(いとこのお姉さんの弟でもある)に姪っ子が2人います
私は菜摘といえばモスバーガーのバンズをレタスに変更したやつをどうしても連想してしまうんですが、そういえばたしかにあの変更サービスに菜摘って名称がついた当時(それ以前は裏メニュー扱いだった)、たしかにナツミって名前の女性はよく見かけましたね。そうか。流行っていたのか・・・。