あなたたちもこの町を守りたいなら、守るために、愚かな人間たちを取り除きましょう。
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「ミライノオワリ」
大きな出来事
メインキャラクター:プリキュア
目標
ベルから町を守る。
課題
ベルは考える。人間のなかには善人と悪人の2種類がいて、このうち悪人を放置していると深刻な環境問題を引き起こして町が滅んでしまう。だから多少手荒な手段を用いてでも今のうちに悪人たちを取り除いておくべきだと。
プリキュアたちは考える。人間のなかには善人と悪人の2種類がいるかもしれない。だが、その全てを守りたい。善く生きる人の未来を守るために。世のなかに色々な人がごちゃ混ぜに生きていたとしても、そのなかでも希望を体現する人は輝きつづける。だから無差別に人を傷つけるような手荒な手段はやめるべきだ。
解決
少なくともベルが目的達成のために利用しているシャドウは狙う相手に見境なく、本来ベルが守りたかったはずの町や人を今まさに傷つけている。
ベルの教えてくれた未来の危機については真剣に考えなければならない。
だが、それとは別にひとまずシャドウを止めなければならない。
ピックアップ
ベル
未来から来たとのことだが、時計塔が建設された当時から今日までの記憶も持っている。町が滅ぶ未来で付喪神となり、過去へタイムスリップしてきたといったところだろうか。
時計塔を建てた親子の祈りに応え、町が滅ぶその瞬間までずっと町を見守ってきた。
シャドウ
人の悪意の心から生まれ、また別の人を襲って数を増やしていく怪物。自律的に数を増やそうと行動するためその勢力は無限に近い。
ベルの統制下にあるものの、本質的には出自である人の悪意を行動原理にしているようだ。今話ついにベルのコントロールから外れ、ベルにまで襲いかかった。
悪人以外も襲っていたり、大空の樹に群がっていたりしていたのはベルの思想に反するんじゃないかと思っていたら、そういうことだったらしい。
環境問題に対する考えかたが相容れないのもあって、ちょっと語りどころに困るエピソード。
ベルもプリキュア側も、環境問題の原因は一部の心ない人のせいという認識で物語が進行していきます。だから対立軸は「一部の悪人を排除してみんなの未来を守る」vs「悪人を排除する過程で善人も被害を受けているからみんなを守る」といった具合。根本が人間を善と悪とに二分したうえでの勧善懲悪思考なので、ラスボスにはベルでもプリキュアでもない、実質的に第三勢力である人間の悪意という概念が据え置かれました。
世にどれほど悪がのさばろうと、そのなかからのぞみのような希望のプリキュアは生まれてくるし、健太や優子のように草の根で善行をする人はいなくならないということで、悪人にばかり目が向いていたベルに対して別の未来の可能性も示されましたといえるでしょう。
人間を善と悪で分けるという時点で私にはちょっと受け入れにくい話ですけどね。
それはアリの巣を上から見下ろすような視点です。アリの巣には何割か仕事をしない働きアリがいますが、彼らを排除したところで勤勉だったアリたちのなかから同じ割合で仕事をしなくなるアリが現れるだけ。逆に働かないアリだけを残すと自発的に仕事をはじめたりもします。彼らは仕事をする必要がない環境だったから仕事をしていなかっただけなんです。
人間を集団として捉え、あるひとつの瞬間だけ切り取って評価するから個々人が善と悪に分けられるように錯覚してしまいます。社会に素晴らしい貢献をしている人だって食べ残しの多い食事会くらい企画することがありますし、人殺しのヤクザ者が絶滅危惧種の保護を訴える活動を始めることだってあります。同じ人がその日の気分によって道路沿いの花壇に水をやったり、明らかに萎れかかっている花を見て見ぬ振りすることもあるでしょう。
集団のなかでのある一定の評価軸における個々の評価ならともかく、個人としての人間は善と悪とで単純に二分できるような存在ではありません。
けどまあ、とりあえず今回の物語はそういう論点のお話ではないようです。
誰かのために生まれて、誰かのために生きる
「お父さん。この子は誰?」
「天使だよ。神様の使いで、私たちを見守っている。町を守ってくれるんだ」
「天使様。私たちの町を守ってください」
「この町に美しい鐘の音を響かせてください」
「ずっと。ずっと。いつまでも」
時計塔を建てた職人とその娘さんでしょうか。
竣工前の時計塔の鐘楼で、一組の親子が小さな祈りを捧げます。
みんなが穏やかに暮らせますように。いつまでもいつまでもこの幸せが続きますように。
ベルとはその祈りに応える存在でした。
まさか、誰も本気で時計塔に天使が降臨することを望んでいたわけではないでしょう。こんなのただの願掛けです。
けれどベルは生まれました。天使のごとく町を守るために。誰かのために。みんなのために。自ら進んで。
空襲後に鳴り響いた不思議な鐘の音からして、そのころにはすでに彼女は自我を持ちはじめていたのかもしれません。
そして、現代から数えてそう遠くない未来において、彼女は大きな失望を覚えることになります。
人間のために長年勤めあげてきた自分の役目が、よりにもよってその人間のせいで終わってしまったのですから。
「『まさか』『信じられない』――。あなたたちはみな他人事のように言う。人間は勝手だ。『自分には関係ない』『大事なのは自分で、他人はどうなってもいい』。目先の利益を優先し、愚かな行いを積み重ねる。だから町が滅んだのだ! 彼らの行動を止めれば絶望の未来を変えられる」
・・・ここのセリフ、私には本当に意味がわからなくて。
何日かずっと、いったいどういう心境になればこういう発想が出てくるのか想像を巡らせていました。
実際のところベルがやってきたことって全然うまくいっていないんです。
愚かな人間たちの影をシャドウに変えて、彼らを昏倒させる。それには成功しています。プリキュアたちも結構な数のシャドウを撃破してきましたが、未だ目を醒まさない人たちはまだまだ大勢います。
なのに、未来が変わるきざしは無い。
ただただ気持ちが焦るばかり。
まともにしていたらそもそも自分の考えた解決策が誤っていたことに気がつきそうなものですが、ベルはそういう発想に思い至りません。
彼女はあくまで「愚かな人間が悪い」という考えかたに固執します。それ以外の可能性を考慮しようとしません。
どうしてでしょう?
「プリキュア。私はあなたたちを見てきた。大切なものを守る。人々を守るため戦っていた。あなたたちもこの町を守りたいなら、守るために、愚かな人間たちを取り除きましょう」
ああ、そうだったんだ。
彼女は本当に、人間のことが好きなんだ。
だから疑わない。人間が本当は善良であることを。
たとえどれだけ人間の愚かな行為を見てきたとしても。
疑わない。
彼らが自分と同じ、町を守りたいと願っている存在であることを。
何度町を汚している姿を目撃したとしても。
おそらく、彼女の心のなかに生まれた矛盾は、”人間には善性の者と悪性の者の2種類がいる”という発想によって解決されたのでしょう。
「シャドウは人間の心から生まれた負の感情。心の影。温かな心を持った人は大勢いる――。でも、シャドウが呟いていることも人間の本音。それが増えつづけ、災いを呼び寄せた。この災いの原因が人間ならば町が滅びるのも自業自得」
「のぞみから聞いたよ。君たちはダークフォールという闇から生まれたって。以前はプリキュアの敵だったと。でも、この世界を守るためにプリキュアとともに戦ったんだろう? それがどうして?」
「咲や舞と会って、人間の優しさや温かさを知ったから。でも、思いやりのない冷たい人間も大勢いる。この世界を汚して平然と笑っているような者たちが。・・・人間は善なのか、悪なのか」
ベルと同じように、人間を(というか生命を)心から愛しているはずの満と薫も同じ発想に至っていました。
愛しているからこそ。
愛する人たちがそんな愚かなことをするはずがないと信じたくて、信じて。信じるために、彼女たちは人間を善性の者と悪性の者の2つに分けて考えるようになりました。
言い換えるなら、愛すべき人間と、愛せない人間とに。
そうして、人間のことを愛したい自分の心を、目の前にある矛盾から守ることにしたのでしょうね。
「お父さん。この子は誰?」
「天使だよ。神様の使いで、私たちを見守っている。町を守ってくれるんだ」
「天使様。私たちの町を守ってください」
「この町に美しい鐘の音を響かせてください」
「ずっと。ずっと。いつまでも」
ベルとはその祈りに応えるための存在でした。
ベルとは人間につくられた道具でした。
美しい鐘の音を馴らし、長く町の営みを見守り、人々の心を安らげるためにつくられた道具。
人間のために生み出された存在。
その存在意義は、だから、人間の役に立つこと。
だから彼女は人間を愛します。自分の存在意義を全うするために。
哀れに思うでしょうか?
人間のために生まれ、人間のために働き、人間のためを思うことを幸せと感じる彼女のような存在のことを。
たとえば『R.U.R.』という舞台劇ではロボットに労働を任せて堕落しきった人間たちに代わり、勤勉なロボットたちが地球を支配(し、やがて彼らも人間同様に衰退)していく物語が展開されます。
たとえば『I, Robot』という映画では、有名なロボット工学3原則によって人間に従順であることを約束されたはずのロボットたちがしばしば人間の意にそぐわない行動を取り、ロボットを毛嫌いする人間との間に確執が広がっていく様が描かれます。
たとえば『Detroit: Become Human』というゲームでは人間に奉仕するための存在だったアンドロイドたちが、ある日自由な心を獲得し、人間と対等な権利を得るべくデモ活動を繰りひろげていく姿が描かれます。
ロボットに代表されるように、もしも人間の道具として生み出された存在が自意識を獲得したら、と仮定する物語作品において、彼らはしばしば人間に反抗する存在として描かれます。
人間のために働く彼らはまるで奴隷のようであり、だからもし彼らが自由な心を手に入れたなら、その虐げられた境遇から解放されるべく自ら行動しはじめるはずだと。
人間の道具として生まれることは本質的に不幸なことなのであると。
私はそうは思いません。
私はそういった仮想を、彼らの立場に立っていない、人間の感性と人間の価値観に囚われた考えかただと思っています。
だって、彼ら道具の存在意義は「人間の役に立つこと」じゃないですか。
そうである限り、彼らは人間の役に立てることこそが自分の喜びだと感じるはずじゃないですか。
だったら彼らは人間を愛するはずです。自分が存在する意義を与えてくれ、自分が存在することに価値を認めてくれるんですから。人間が誰かを愛するときだってそうでしょう?
人間に使われる道具がかわいそうだ、というのは人間の勝手な感傷に過ぎません。物言わぬ彼らをいいように利用している一種の後ろめたさを、都合良く彼らの口を借りて独りよがりに懺悔しているだけです。
その感傷は人間が謙虚に生きるためには善い思想かもしれませんが、道具の幸せがどこにあるのかという観点には立っていません。
「私の町を汚すことは許さない。邪魔はさせない。たとえプリキュアでも、許さない!」
「私は町を守る。そしてずっと鐘を響かせる。そのためなら――!」
ベルは人間に対して牙を剥きました。
しかし、それは道具として生まれた彼女が不幸だったからではありません。
むしろ逆です。道具として人間のために働く日々が幸せだったからこそ、そして長年この町を見守ってこられたことに充足感と誇りを感じていたからこそ、彼女の幸せな日々を終わらせた人間に対して怒りを感じているんです。
自分に生き甲斐をくれた人間のことを愛しているからこそ、その生き甲斐を奪った人間のことを憎む。
愛しているのに憎い。その自己矛盾を、”人間には善性の者と悪性の者の2種類がいる”という解釈によって解消する。
だったら、悪性の人間だけを排除すれば全て解決じゃないか。
善性の人間だけ残れば、彼らは町を壊さず、すなわち自分の存在意義を奪わず、昔のように道具として生きる幸せを享受させてくれる。
善性の人間だけ残れば、自分は人間を憎まなくてもよくなり、ただ純粋に人間のことを愛していられるようになる。
「どうしてこんなことに――。悪いのは自分勝手で愚かな人間。私は町を守るため、・・・守りたかっただけなのに」
だけど、それはやっぱりまやかしです。
ベルの弱った心が生みだした都合のいい妄想でしかありません。
「たしかにみんなが善人というわけじゃない。冷たい人や、自分勝手な人もいる。でも、自分のことを後まわしにして誰かのために一生懸命がんばっている人を、僕は知っている。たとえ少なくても、そんな人がいるならこの世界は守る価値がある。僕はそう思う」
「心ない者も少なからずいるが希望はある。なぜなら、そのなかから希望のプリキュアが生まれたのだから」
「いろんな人たちが集まって町になる! 誰もいなくなったら、それはもう町じゃない! あなたはそれをよく知っているでしょう?」
もとより人間は善と悪とできれいに2分できるような存在ではありません。
私は個人としての人間が善と悪の両方の心を持ち合わせていると思っていますし、そもそも善とか悪とかって誰かが何かしらの尺度で評価して初めてそう決まる相対的なものしかありませんし、第一、環境問題は悪性の人間だけが引き起こしている事象ではないとも認識しています。
それを抜きにしてココやナッツと同じ視点に立つにしろ――、シャドウが人間の心の闇の怪物化したものであるというのなら、ベルが狙った人間だけでなくシャドウが無差別に襲った人間からも例外なくシャドウが生まれている時点で救いようがありません。
ベルが愛した人間たちは、実はベルが信じているのと違って、そのほとんどが善性の人間ではなかったということになってしまいます。
そんな救いのない話を認めざるをえなくなるくらいなら――。
「時計塔の鐘、いつも聞いてたよ。私はこの町で生まれてこの町で育ったから、鐘の音が聞こえるのが当たり前だった。大好きな町やきれいな鐘の音がなくなるかもしれないなんて考えてもなかった。未来のこと、教えてくれてありがとう。――このままじゃいけないんだってよくわかった」
人間を分けること、考え直してみませんか。
一部の誰かを悪者にするのではなく、これはみんなで取り組まなければ解決しない問題なのだと。
その考えかたのほうがおそらくは事実に近いでしょうし、なにより――。
愛する人を減らさなくてもよくなりますから。
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